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リテラシーと理解について考える

理解とは

「私」と「我々」と「あいつら」

10人の人がいればその内5人はその10人の標準以下の能力しかなく、10人の内1人は他の9人より劣っている。 100人に1人の愚か者は100人いれば1人いる。1,000人の内1人は1,000人に1人のバカだし10,000人に1人のバカは10,000人に1人いる。 良く思っていない他所の…

期待と評価(雑談)

たとえば書籍通販でAmazonのカスタマーレビューを見ていると思いのほか厳しい採点がされている本が有ります。 自分で読んだ感覚としては充分良い出来だと感じ、ノンフィクションの場合でも内容に特に瑕疵のない物であっても低い評価を与える方がいます。 個…

「本題」と「批判」

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日本で韓国・朝鮮史を知りたいと考える一人として

きつい事を書きます。読まれる方はご注意を。

「リテラシー」のコスト

リテラシーや「知識」等について考える場合に正統的な学習を行い、科学知識を学び「クリティカル」な思考を身に付けるべき、とする考えは有ります。 まずは妥当でしょう。 現実の社会には高学歴で高度な科学知識を理解し、高い教養を身に付け論理思考の出来る…

いやまあ、なんというか

>ニセ科学批判批判 >http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20121017/1350482769 で書いた >http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.jp/2012/10/p02-07.html に「仕方なく」コメントを入れた結果……。 >http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.co…

正しい嘘

嘘をつくなら「”政治的”に正しい」嘘をつけば「何とかなる」でしょう。 何らかの思想や理念にとって都合が良いか、活動や利害を正当化するもの、「正しい」誰かの代弁者として嘘つけば誰かが「正しい部分もある」「このような意見が出てくることにも意味があ…

間違いであった

何らかの事情で自分が今までの行為が「間違いであった」とされるとどんな感覚なのだろう。 これは尊敬する誠実な先人から学び、苦労をして身につけ、日々多くの努力をし、懸命に考え、人の役に立つと考え、心から喜んでもらった経験があり、生き方として信念…

知る学ぶ教わる

何らかの知識や思考法・論理の体系を得たり認知や解釈の技術を身に着ける為には自力で考えるだけでは普通「人生」は短すぎます。 物理的に個人の感覚能力や理解能力には限界があります。目には見えない事柄や考えただけではわからない事は多くあります。 で…

 「論理的に考えることが疎かになっている」

在る所で「論理的に考えることが疎かになっている」というコメントを読みました。 他にもよく「論理思考が軽視されている」だとか「科学が安易に考えられている」や「わかりやすさ思考が蔓延している」だとかの言い方で現在の「知的状況」を何らかの「衰退」…

「誰か」の為に発言する

(この文は「不毛」http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20110514/1305301536とも一部重なる内容です) 意見や主張を行う動機として自分の為ではなく他の「誰か」を守るためだとか「誰か」の代弁をしているつもりとか名誉のためだとかで「論陣を張る」事や「抗議…

人は間違う

社会や人間を目的に基づきある程度理解するにはそれなりに穏当な手段である修辞学的な論理が、事実関係を正確に認識する為に用いるには限界があり、その矛盾を無理に辻褄を合わせようとした場合に何らかの(敢えて言えば)迷信的な解釈を必要とするわけです…

不毛

こういった「反論」をする人がいます。 「あなた達のいうことは正しいかも知れないが納得できない人もいる」 「そんな言い方だと理解されない」 これは殆どの場合、本当は「自分は納得できない・理解したくない」と言っているだけです。 自分が納得・理解し…

嗜好品の商品レビューと言論

ネットではよく見られる言論の形式として嗜好品としても存在する何らかの「意味」をもつモノに対する受け手(客)の個人としての感想や印象、使用感や取引全体についての実感について述べる一連の意思表明があります。 ややこしい書き方をしましたが基本的に…

議論ができる 後編 

議論ができる 前編の続き。 ではどのような場合に「議論はできる」のでしょう。 「議論ができている」というのはどのような場合かと考えると、基本的にはある程度の知性を持ち、議論を行う訓練を受けているか議論に向いた思考形式を持っているかの人間達がい…

議論ができる 前編

「議論ができる」とはどの様な事なのだろうか。 稚拙な個人的な考えを相当乱暴で粗雑な印象論で垂れ流します。 現実に少なくとも今の日本の自分自身の周囲では『基本的に「議論ができる」』という状況は存在しません。 先ず多く人は基本的に「議論ができませ…

「正しい」のはだれか 後篇   

http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20101213/1292249805の続き 見ていて実はこれはその部分の論理や科学思考の問題ではなく「正しい」とは何か「正しくない・間違い」とは何かという、事実の認定や価値の位置づけの捉え方の違いについての対立ではないかと考え…

「正しい」のはだれか 前篇

少し前からはネットの一部で話題が出ている「3×5≠5×3」問題等から考えたことです。 元の話は小学校二年生の算数のテストで『さらが 5まい あります。1さらに りんごが 3こずつ のって います。りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。』という問題が出…