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リテラシーと理解について考える

不毛

 こういった「反論」をする人がいます。
     
 「あなた達のいうことは正しいかも知れないが納得できない人もいる」
 「そんな言い方だと理解されない」
             
 これは殆どの場合、本当は「自分は納得できない・理解したくない」と言っているだけです。
 自分が納得・理解したくない事柄を「誰か」に押し付けその「代理」として反論しているつもりのようです。
 そんな人に事実関係をいくら丁寧に説明しても「このようにも考えられる」「こう考えるとそれが正しいとはいえない」とすり替えるか言葉尻を捉え「こんないい方は良くない」「この説明は完璧ではない」と混ぜっ返されるだけです。
 勘違いや誤解を相手のせいにし、結局は「物のいい方が悪い」と粘着するだけです。
      
 そういう人はご自分が「中立的な立場」だと主張される事も多いです。
 現実には相手の意見に対し反論を行いながらも「論破」されない為に「反論する自分」と「その理解者でもある中立的な自分」を分け、都合により立場を入れ替え結果的には無意味な混ぜっ返しを延々と続けることに成ります。現実には二つ以上の「立場」を自分の中で入れ替えていきます。
 追い詰められると「自分は反論できないが自分の意見ではない」と逃げ、根拠も示さず「こんな風に思う人もいるだろう」と反論したつもりになれるようです。
 常に相手の指摘の論点を複数の立場でずらして「理解」しているので矛盾が気にならなくなるようです。
          
 ですからその手の方のご意見は多くの場合一つの論の中に平気で矛盾が存在します。
 多くの場合は自分の中にある複数の立場で語られる主張に整合性が存在しないにもかかわらず一つ一つの意見が正しいと考えられるのかどの様に指摘しても辻褄を気にせず「反論」出来たつもりになれるようです。
 整合しない幾つもの意見が立場を切り替えると「納得」出来てしまうので矛盾を感じないようです。
   
 その手の場合文章が支離滅裂なまま長大になるかネットの場合は特に意味もなく「連投」をすることも多くあります。
 文節文節を思いつくまま示すので論点がバラバラになりますが、一つ一つの「意見」に意味があると考えているようで整合性を気にせず大量に投げつけることに効果があると考えているのかもしれません。
   
 当然そういった場合は相手に要求する責任と自分(達)の側が負う責任に大きな非対称が生じます。
 相手はどの立場から見ても「完璧」で「誰もが認め」る意見を述べなければならないとするのに自分「達」はどれか一つの立場から取り敢えず「反論」出来れば問題がないとしているようです。
 自分達を納得・理解させられないのは相手が悪く、自分の意見を納得・理解しないのは相手が悪い。無敵の屁理屈です。
 相手が自分や「誰か」を納得・理解させられないことに問題があるのなら、自分が相手を納得・理解させられないことにも問題があるという道理が理解出来ない様です。
 「誰か一人でも納得・理解しない理由」として自分も責任を持たない「反論」さえ示せれば意味があるとしているのでしょう。
 何の具体的な方法も示さず何故それが出来ないといけないかすら根拠を示しません。
 効果のある正しいやり方があるのだとすれば自分で行って見せればよいだけです。自分の意見を受け入れなければならないとする根拠を示すこともありません。
  
 本人は矛盾を気にする必要もなく辻褄の合わない混ぜっ返しをしただけでも良いと考えているようです。
 幾ら指摘を受けても整合性を気にしないのでどの様にでも反論できているつもりになるようです。
 面白いことに批判的な指摘には混ぜっ返すだけなのに自分が支持された場合は問題のある意見にも簡単に同意してしまうことも有ります。
 「敵」であればいくらでも反論するか混ぜっ返すだろう内容の相手でもすぐに信用してしまいます。
 基本的に「論」ではなく敵味方で考えているのかも知れません。一部でも自分に都合がよければ気にならないようです。
        
 自分の論点を自分で理解せず都合で自分の主張や立場を入れ替えているのでどうにでもなるようです。
 多くの場合「結論有りき」で主張されているのでどの様にしてもどうにも建設的な対話には成りません。
 最終的には「自分を理解・納得させられない」が根拠なので理解・納得さえしなければ「自分が正しい」と出来るようなのでどうにも意味のある議論はできません。このような人とは議論は困難です。
     
 「正しい」やり方や具体的な目標を示さず「そのやり方だと逆効果になるかも知れない」とする場合も同じようなものにもなることもあります。
         
 逆に言えば自分自身がこのような「議論」をしないように気を付け無いといけません。
 自分の論点と根拠を明らかにし、自分の立場を自覚しようと心がけ、議論の公正を目指し、都合の悪い事実にからも逃げず、整合性を示さなければならないでしょう。自分自身の主張を理解することがまず第一です。
   
 個人的には一つの文章で矛盾のある主張をする人との議論は難しいと考えます。
 論点が理解出来ない相手との論点が絞れない議論は余程の理由がある場合を除けば意味がありません。自分の言動に責任を持たない相手との対話は出来ません。 
  
 検証もせず自分の主張に都合の良い「情報」を次々と出せば相手を「コントロール」出来ると考える人との対話は不毛です。 
 「気に入らないことを言う」相手に「負けない」為だけに意見を述べる人との対話は不毛です。