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リテラシーと理解について考える

失敗のこわさ

 もし、善意と正義感や実体験で言説をし、それが支持を得て運動になり同志から認められ何らかの評価を得たにもかかわらず、それに間違いや結果としてのやりすぎがあったりした場合、取り下げるのは難しいだろうなと思います。

  

 その評価が生活や人生における必要や大切なものになったら修正する方が損であったとき、過ちや行きすぎを認められないのは仕方ないのかもしれません。

 

 褒められたり、評価されることも恐ろしいことなのかもしれないでしょう。

 自分の人生も仲間の人生も簡単に曲がるのかもしれないと思うと言葉とは難しいものです。