嘘をつくなら「”政治的”に正しい」嘘をつけば「何とかなる」でしょう。
何らかの思想や理念にとって都合が良いか、活動や利害を正当化するもの、「正しい」誰かの代弁者として嘘つけば誰かが「正しい部分もある」「このような意見が出てくることにも意味がある」「こう考えるとそれほど間違いではない」だとか弁護してくれる人がいます。
敵と味方を分け、敵の不利益になるのなら味方はその嘘を許してくれます。
「この人は悪い人ではない」として逆に「嘘をつかせた」敵を批判してくれます。
敵は基本的に「悪い・間違った」もので味方は本質的には「善い・正しい」ものです。
弁護・応援してくれた人達の「政治的な正しさ」を否定しない限り、一度弁護・応援してくれた人達は批判しないし、嘘を指摘・批判する連中からも守ってくれる事もあります。
一度「価値を認めた嘘」を切り捨てるのは困難なようで、利害が一致している限りはその嘘を非難されることは少ないでしょう。
明らかな嘘とわかってもそれほど信用をなくしません。
「その程度の間違いは仕方ない」「全てが嘘ではない」「有用な問題提起だった」「仕方なかった」「気持ちはわかる」「許そう」そう言ってくれるでしょう。
敵を困らせた場合は嘘を述べても良い評価がされることもあります。
「良い事も沢山言っている」と褒めて貰えたりもします。
その嘘を指摘した誰かを「そんな言い方は無いだろう」「頭ごなしに言うな」「傲慢だ」「敵の仲間だろう」「敵の嘘を先に指摘するべき」「この嘘を指摘する必然性は低い」として指摘した側を批判してくれます。
「普通の人はわざわざそんなことは言う必要は無い」等と相手の人格の問題として呉れたりもします。
少なくない人が自分のかわりに都合の良い嘘をつく人を必要としています。
希望を与え活動を肯定し感情を認める嘘は許してくれる人はいます。
嘘つきの味方は「正しい側の人」です。「真実の側の人」です。
誰かの嘘を「この嘘は悪くない」と感じた場合はおそらくそれが自分の何らかの利益を代弁しているということです。
その嘘で名誉や信用が毀損されるのが「敵」である場合も多いでしょう。
逆に「許せない嘘」は多くの場合自分や味方が損をする嘘でもあります。
「信じてしまった」”政治的”に正しい嘘は許されるべきだと感じるのも人間です。
「立場」のある人は普通「立場」に基づいた認識・言動を行います。
その嘘が「許せるか許せない」かは多くの場合その人の価値観や利害によります。
自分の利益になる嘘を指摘するのは難しいでしょう。
誰かの嘘を「それほど悪くない」と感じるのも人間です。
「たくさん良いことを言っている」ので「このくらいは構わない」とも認識します。
仲間や敬意を持つ相手に「こんなことくらい」で「嫌われたくない」「感情を害したくない」と考えるのは当然です
敵の嘘のみを批判する「批判者」は少なくありません。
味方の嘘に沈黙する「批判者」は幾らでもいます。
味方の嘘を批判した相手を嫌うのは普通です。
多くの場合、正しい嘘をついても何とかなります。