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リテラシーと理解について考える

「リテラシー」のコスト

 リテラシーや「知識」等について考える場合に正統的な学習を行い、科学知識を学び「クリティカル」な思考を身に付けるべき、とする考えは有ります。
 まずは妥当でしょう。
    
 現実の社会には高学歴で高度な科学知識を理解し、高い教養を身に付け論理思考の出来る優れた知性の持ち主はいます。
 つまらない嘘には引っかからず、メディアの断片的な情報からも真実を見透し、科学的合理性と博覧強記といえる知識を持ち、情報処理能力にも優れています。
 倫理的で人格も優れた人です。
 ただ、「善意」「正義感」を含む何らかの事情で一つか二つ大きな勘違いか誤解をしていて、間違った事を自明に「真実」と理解している場合もあります。彼は間違っているのはそれを否定する他の人々であるとしか考えられません。
       
 又、ある人は科学は殆ど理解できず、勉強は苦手で、余り深く物事を考えず知性や教養があるとは誰からも見られません。
 つまらない嘘にも簡単に騙され、メディアに踊らされ、他人の意見に左右されやすく、「賢い」とは自分でも考えてはいません。
 すぐに騙されるのですが「自分」の知的能力をそれ程信用していませんので何らかの根拠の有る公的な立場からのアナウンスや「ちゃんとした人」に説明をして貰うと簡単に間違いを認めます。
    
 「優れた知性の持ち主」は信念に基づき、「真実」をあらゆる方法で論証しようとし論敵と戦い、それを広く知らしめる為に多大な努力をし知性と信用を駆使し多くの人々を説得していきます。
 彼を論破することは困難で反論する人も彼程の知性を持つ人は多くありません。
 「間違い」をただし人々を「真実」に目覚めさせる為に最善の努力をします。
 彼の知性と信念に感銘を受けた人は彼の「真実」を受け入れ、「正しい事」を実現する為に共に歩もうとします。
   
 「賢くない人」は他人を巻き込む程の力はありません。時々騙され失敗しますが、自分で責任を負うか簡単に軌道修正します。
 たくさんの間違いをし、過ちを犯しますが、注意や指摘を受けるとすぐに反論を諦め自分の「賢さ」を過信しません。
 わからないと誰かに話を聞きにいき、責任を持ちえる立場の人に「依存」します。
 「主張」を行う自信は無く、他人に影響を与える事に慎重です。
 
 どちらが社会にとって「有害」なのでしょう。
 どちらが社会全体の「リテラシー」のコストを引き上げるのでしょう。
 どちらの「リテラシー」のコストが適切なのでしょう。
 時に正統的な学習を行い、科学知識を学び「クリティカル」な思考を身に付けた筈の人が「有害な場合もある」可能性は排除できないでしょう。
   
 リテラシーと理解を考える場合には忘れてはいけません。
 「人は間違う」のです。