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リテラシーと理解について考える

「正しい」のはだれか 前篇

 少し前からはネットの一部で話題が出ている「3×5≠5×3」問題等から考えたことです。

 元の話は小学校二年生の算数のテストで『さらが 5まい あります。1さらに りんごが 3こずつ のって います。りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。』という問題が出て、「しき」に「5×3」、「こたえ」に「15こ」と書いた回答に、答えには○がついた物の式には×が付き、赤字で「3×5=15」と教師からの「正解」が書き添えられていたという話のようです。

>小学校笑いぐさ日記 教科書会社トップの東京書籍に言わせると「3×5≠5×3」らしい  http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
>Kikulog 掛け算の順序問題について(山のように追記あり
 http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
東北大学 大学院理学研究室 数学科助教 黒木玄 かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである
 http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html
>算数の掛け算 発言小町(※ここの意見は酷いです)
 http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0

      
 等に詳しくあります。個人的には上にリンクを引いた方たちと同じく小学校の教師の採点は間違いだと考えます。
 計算式ぐらい小学校二年生位でも計算しやすく変えても問題はないでしょう。2+7+8+3を2+8と7+3にわけて20と即答する子供は珍しくもないでしょう。単位云々も書き方次第で掛け算の交換則も二年生で習うので何の意味も見つけられません。
 しかし一部の方は「そう回答するように教えたのだから教えたとおりに回答しないのは間違いだ」「単位が変わる云々」「日本語の順番云々」等として順序の交換を認めないようです。
    
 で、違う話ですが別の所で別の話で別の方が「人知には限界があり科学の法則は絶対的な真理ではないが、人間はそれを信じるしかない(大意)」という「科学も(少なくとも科学者以外には)信仰と変わらない」とも取れる相対主義的な発言と読める事を書かれ、それに対し科学者や他の方が「科学は、絶対や真理や信仰ではなく基本的には道具である(大意)」と説明されたのですがどうにも納得されなかったようです。
 他にも見たことのあるのは「科学の正しさは権威的」「科学的な正しさに拘るのは権威主義的だ」などの科学的な正確さを重視する意見に対するよく見られる批判です。これらは異なった主張にも見えますが科学を価値観として見る点には共通するように見えます。
 それに対し科学思考を訴える立場の方は、「科学」の正しさは事実と検証の積み重ねであり、自由な議論と根拠に基づくもので権威的な正しさでは無い等と説明されますが中々簡単には理解されません。
 この場合には反論として普通は文化や価値観に用いられる相対主義的な思考を科学に当て嵌められる事が多いようにも見えます。曰く「科学も宗教も道徳も価値観の一つでしかない、科学も不変のものではない」とかです。勿論科学は価値観ではなく思考や認知の技術です。
        
 そこまで説明したとしても此方の見た印象としてはちゃんと論理的に説明ができている事を、論理そのものは否定できないにもかかわらずどうにも腑に落ちないと感じられるようです。
 算数について数学的な説明をされ、科学については科学哲学まで持ち出されても納得できない方もいます。
 よく見受けられるのが、指摘を受けると「そうとしか考えられない」「それはあり得ない」といった強い論拠ではなく「そうと考えることもできる」「そうとは限らない」といった弱い論拠での反論をされます。基本的にその論理そのものよりその論理の位置づけや印象について論じられ、反論をされるというより「納得できない」を主張されているようにも見えます。
   
 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20101215/1292387852に続く