「名も無き正義の人」が抗議の声を挙げ、場合によっては行動で「正義」を示す事が有ります。
昔聞いた話です。
その方には息子さんが居られ高校を卒業して就職されました。
息子さんは通常の歩行は問題が無いそうですが足に軽い障害があり、走ったり出来ず、長い時間立つこともつらく、座る場合にも膝が上手く曲がらないので足を少し伸ばした形で座らざるを得ないそうです。
その他は少し小柄な普通のおとなしい若者で、その親御さんによると「お兄ちゃんはやさしいのが取り柄」だそうです。
電車で通勤されているのですが割合離れた駅まで通うそうで、少し時間をずらしその路線のほぼ始発駅に近い所で乗り座る事が多いらしいです。
一年ほど経ちある日息子さんが通勤電車で座っていると横に初老の男性が座られたそうです。
都市圏の鉄道で顔見知りではなくはじめて見る人です。よく覚えていないそうですがごく普通の人だったようです。
何駅か過ぎ、ある駅に電車が止まりドアが開きました。
男性は何も言わずに息子さんの足を「バンッ」と叩き、席を立ちそのまま電車を降り、スタスタと歩いていったそうです。一度も目を合わす事すら有りませんでした。
痛みを感じさせるというよりも大きな音をたたせる様な叩き方で、痛いわけではなく兎に角驚いたそうです。
唖然としている間に電車のドアは閉まり、呆然とする息子さんを乗せ発車しました。
その男性は「若い男が公共の場で行儀悪く足を伸ばして座っているのでたしなめた」と考えているのかもしれません。
ご本人としては「小さな正義を勇気を出して行った」と自分に満足されているのかもしれません。悪気があった訳ではないのでしょう。
親御さんによると叩かれた痛みよりもその様に思われたのだろう、その様に見えているのだろうという事にショックが大きかったそうです。
息子さんはしばらく電車に乗っても座る事が出来なくなったと聞きました。
自分が何かに憤りを感じ、「正義」の名の下に何らかの行為をしたいと考えた時にこの話を思い出します。
その「正義」について自分で責任を持てるか、何かを見落としていないか、誰かを不当に傷つけていないのだろうか。
それは本当に「正義」なのか。