前に「今どきの日本ハイファンタジー小説 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20141015/1413298829」を書きました。
異世界を舞台にした「ハイファンタジー」を中心に紹介しましたが日本国内のその他のファンタジー小説と幻想文学/小説も調べた範囲で紹介してみましょう。この記事では広義の「ファンタジー」を扱います。
ローファンタジー、エブリディマジック(日常魔法)、ヒロイックファンタジー、歴史ファンタジー、ダーク/ホラーファンタジーと幻想文学などが中心の記事になります。定義については上記『ハイファンタジー』記事も参考に。*1
「今どきのハイファンタジー小説」では読んだ作品の感想と紹介を書きましたが今回は現時点では読んでいない作品が多数です。*2
この記事では児童文学や、現在では最大ジャンルといえる「ライトノベル」系は欧米ではヤングアダルトといわれる少年少女や若者向けの作品になると考えますので基本的には触れません。ファンタジージャンル的には数分の一程度のそれほど幅広くない範囲の2000年以降の状況を中心とした限定的な概観にすぎないという点はご容赦ください。ジャンル分けは曖昧な部分が有りますが主観的に判断しています。
児童文学やライトノベルのファンタジーについては手に余りますのでどなたか他の方にお願いしたいところです。
近年、一般文芸小説でもファンタジー要素は取り入れられ、死んだ人がよみがえったり、幽霊や天使や死神が登場したりする作品がヒットするようになりました。恋愛や家族、人の生き様を描く作品の舞台設定やストーリーの主軸にファンタジー設定が取り入れられるようになり、ある意味ではジャンルとしては拡散しているも言えるでしょう。
とくに「ファンタジー」とはされない作品でファンタジー要素が読者からも認められるのはジャンルとしては良いのか悪いのかはわかりません。推理小説では「事件小説」が一般小説にも多くみられ、SFでも超能力やタイムトリップや人格交換(入れ替わり)が基本的に「SFではない」とされる小説でも普通に取り入れられています。
結果的にイメージの陳腐化とそれに対抗するジャンル小説の先鋭化という事にもつながりますが一つの流れであるとは言えるでしょう。
ここで「ファンタジー/幻想小説」とするのは作品の内容を確認したものや内容紹介又は出版社作者の見解によるものから独断で判断しました。
エブリディマジックでは恩田陸の「常野(とこの)物語シリーズ」の『光の帝国』『蒲公英草紙』『エンド・ゲーム』、ファンタジーミステリーの『ネクロポリス』。
児童書や絵本も書く梨木香歩の幻想的エブリディマジック『家守奇譚』『冬虫夏草』など。
森見登美彦の『太陽の塔(日本ファンタジーノベル大賞)』『ペンギン・ハイウェイ(日本SF大賞)』『有頂天家族』など多数。
小路幸也の『猫と妻と暮らす 蘆野原偲郷』『話虫干』『すべての神様の十月』もエブリディマジック、他に『キサトア』『蜂蜜秘密』や『旅者の歌』といった異世界ファンタジーも有ります。
直木賞作家宮部みゆきは『ドリームバスター』シリーズ『ブレイブ・ストーリー』『英雄の書』『ここはボツコニアン』シリーズ、異世界冒険(ゲーム系も含む)ファンタジーが多数。
沢村凛『ぼくは〈眠りの町〉から旅に出た』『通り雨は〈世界〉をまたいで旅をする 』。
芥川賞作家川上弘美『七夜物語』『大きな鳥にさらわれないよう(泉鏡花文学賞)』。
直木賞作家桜庭一樹『伏―贋作・里見八犬伝』『ほんとうの花を見せにきた』。
直木賞作家荻原浩『金魚姫』『愛しの座敷わらし』など。
伊坂幸太郎『夜の国のクーパー 』。
有川浩が佐藤さとるの「コロボックル」シリーズを書き継いだ『だれもが知ってる小さな国』。
いしいしんじの『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』など。
江國香織『すきまのおともだちたち』。
あさのあつこの異世界往還もの『ミヤマ物語』シリーズなど。
村上春樹も『海辺のカフカ』で世界幻想文学大賞(アメリカを中心とした英語圏の賞)をとっています。他にも『1Q84』などファンタジー系ともされる作品は少なくありません。
この辺りはファンタジー以外の現代小説も多く書く作家の作品です。
一般的な現代小説、ミステリー、青春小説、恋愛小説などで知られる作家がファンタジーも書いているというのは少なくありません。
そしてほかにもファンタジーや幻想文学的な視点を含む作品は幅広くあります。
アーシュラ・K・ル・グィンが書いていた覚えがあるのですが「純文学」とされるマジックリアリズムとファンタジーは近いともしています。ファンタジーや幻想文学というジャンルを厳密に分類するのは難しい部分も有ります。
ただ一部では作家のファンで現代(リアリズム)小説の読者の方がファンタジー的な作品に戸惑いを感じているという感想も見ます。
「ファンタジーが読めない」読者も少なくはないようです。
夢枕獏の『陰陽師』シリーズや荒山徹の時代伝奇小説などもファンタジーともいえるでしょうか。
田中芳樹のヒロイックファンタジー『アルスラーン戦記』佐藤大輔の戦争ファンタジー『皇国の守護者』も現時点では「続いています」。『グインサーガ』も作者の遺志を継ぎ書き続けられています。*3
エブリディマジックに分類されるタイプの作品では万城目学(まきめまなぶ)の現代関西奇想譚『鴨川ホルモー』『鹿男あおによし』『偉大なるしゅららぼん』『プリンセス・トヨトミ』など。時代もの『とっぴんぱらりの風太郎』もあり現代日本の代表的なファンタジー小説家のひとりです。何度も直木賞候補に挙げられています。
推理作家米澤穂信の中世英国歴史ミステリーファンタジーの『折れた竜骨』は日本推理作家協会賞を受賞。
古川日出男は虚実の入り混じる幻想的歴史オリエンタリズムの怪作『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞を受賞。
SF出身でホラーやサスペンスで知られる貴志祐介の日本SF大賞受賞作でアニメ化もされた『新世界より』はホラー的な手法で描かれたSFディストピアファンタジー。
SFファンタジーでは恒川光太郎の『スタープレイヤー』『ヘブンメイカー スタープレイヤーⅡ』もあります。他の作品『夜市』『雷の季節の終わりに』『秋の牢獄』『草祭』『南の子供が夜いくところ』『竜が最後に帰る場所』『金色の獣、彼方に向かう』といった和風ホラーと、SF時代もの『金色機械(日本推理作家協会賞)』もファンタジー又は幻想文学といってよい作品です。大人向け「ファンタジー作家」といえます。
ホラー系では乙一/山白朝子もあります。乙一名義では初期のライトノベルにファンタジー要素のある作品も多く近作では『Arknoah』シリーズと山白朝子名義の『死者のための音楽』『エムブリヲ奇譚』『私のサイクロプス』など。
飴村行もホラーにも扱われますがダーク(グロテスク)ファンタジーともいえるでしょう。『粘膜人間』『粘膜蜥蜴』『ジムグリ』など。
ホラーとファンタジーが背中合わせの世界なのは小野不由美の『魔性の子』で示されましたがある種のファンタジーも現実の社会から見ればホラーになるといえます。坂東眞砂子や小林泰三や遠藤徹なども作品によってはファンタジーに含まれるでしょうか。
中国志怪小説を基にした勝山小百合の『さざなみの国(日本ファンタジーノベル大賞)』『狂書伝』『玉工乙女』なども幻想的。
中国歴史ものでは仁木英之の人気作『僕僕先生(日本ファンタジーノベル大賞)』シリーズや『千里伝』シリーズ、軽快で読みやすい作品。他に『黄泉坂』シリーズや異世界ヒロイックファンタジー『高原王記』なども。多くのファンタジーを手掛けています。
江戸妖怪ものでは畠中恵『しゃばけ(日本ファンタジーノベル大賞優秀賞)』シリーズなど多数。代表的な日常系妖怪交流ものです。こちらも現代日本の(軽めの)ファンタジーのたいへん人気もある重要な作家です。
軽妙な歴史ものは他にも多くあります。『僕僕先生』や『しゃばけ』はライトノベルに近い作品でしょうか。
時代・歴史ものだけではなく現代ものでも妖怪&幽霊交友、「ゴーストバスター」タイプのエンタテインメント作品は他にも少なくありません。
英米の魔法使い魔女ものに対応する日本的なエブリディマジック(日常不思議)の独自性なのかもしれません。「魔法が使える」より「あやかしと付き合える」ほうが説得力を感じるのでしょうか。日本でも「魔女」ものは児童向きだと少なくないですが大人向けは多くありません。
陰陽道や時には(現実とは異なる)忍術などの東アジア系の魔術などを用いる異能もの退魔ものなどが欧米の魔法ものに対応するファンタジー要素だといえるでしょう。
京極夏彦の妖怪もの『豆腐小僧』シリーズ『虚実妖怪百物語』など。
1989年から2013年まで続き、2017年に再開する日本ファンタジーノベル大賞、幻想文学も含む広義のファンタジ―、2000年以降のほかの受賞作も。
斉藤直子『仮想の騎士』
粕谷知世『クロニカ 太陽と死者の記録』。
西崎憲『世界の果ての庭』。
小山歩『戎』。
渡辺球『象の棲む街』。
平山瑞穂『ラス・マンチャス通信』。
越谷オサム『ボーナス・トラック』。
西條奈加『金春屋ゴメス』
堀川アサコ『闇鏡』。
弘也英明『厭犬伝』。
久保寺健彦『ブラック・ジャック・キッド』。
中村弦『天使の歩廊 ある建築家をめぐる物語』。
里見蘭『彼女の知らない彼女』。
遠田潤子『月桃夜』。
小田雅久仁『増大派に告ぐ』。
紫野貴李『前夜の航跡』。
石野晶『月のさなぎ』。
日野俊太郎『吉田キグルマレナイト』。
三國青葉『かおばな憑依帖』。
関俊介『絶対服従者(ワーカー)』。
古谷田奈月『星の民のクリスマス』。
ここで書いたほかの多くの賞は発表された作品を評価するタイプですが日本ファンタジーノベル大賞は未発表の作品を公募し、その作品を出版し賞金も出すタイプの賞です。
多くの人気作家を輩出しています。http://www.shinchosha.co.jp/prizes/fantasy/archive.html
主として児童文学で活躍する「ファンタジー作家」廣島玲子の『鵺の家』と江戸妖怪もの『妖怪の子預かります』シリーズ。
エブリディマジック真園めぐみ『玉妖奇譚』。
創元社はファンタジーに力を入れています。
SF作家梶尾真治『猫の惑星』『アラミタマ奇譚』。
上田早夕里の『セント・イージス号の武勲』『妖怪探偵・百目』シリーズなど。
川添愛の『白と黒のとびら: オートマトンと形式言語をめぐる冒険』『精霊の箱: チューリングマシンをめぐる冒険』は数学や数理情報科学と言語処理について描くユニークな作品。
千早茜の幻想的な時代ファンタジー『魚神(泉鏡花文学賞)』『あやかし草子』や現代もの『夜に啼く鳥は』など。
藤水名子『赤いランタン―中国怪奇幻想小説集』。
南条竹則『魔法探偵』『鬼仙』。
現代伝奇ファンタジ―横山允男『水の精霊』シリーズ。
ハイファンタジーが多い乾石智子の『双頭の蜥蜴』は珍しく異世界往還もの。
澤見影『奥羽草紙』シリーズや『ヤマユリワラシ』。
中村ふみ『裏閻魔』シリーズ。
異世界ファンタジーの佳作、五代ゆう『〈骨牌使い(フォーチュン・テラー)〉の鏡 』。今は『グインサーガ』シリーズを書いています
宇月原清明の『安徳天皇漂海記』『廃帝綺譚』『かがやく月の宮』は幻想的な歴史ファンタジー。
ファンタジーと幻想文学の区別は難しいですがここからは特に幻想文学的と思えるものです。個人的な見解としてはファンタジーより物語性に重きを置かない、または現実世界の裂け目を向ける作品だと認識しています。
代表的な作家としてはまず山尾悠子を挙げましょう。1970年代から80年代前半にかけてカリスマ的な作家でしたが休筆。硬質な作風。2000年以降『ラピスラズリ』『歪み真珠』を発表、旧作も『増補 夢の遠近法 : 初期作品選』で読めます。
長野まゆみは1980年代末から現在まで旺盛な制作活動を続けます。比較的に読みやすく叙情的で軽やかな文章ときらめくイメージ。『メルカトル』『カルトローレ』など。泉鏡花文学賞受賞。
ミステリーや一般小説も書く津原泰水の幻想小説は『奇譚集』『11』『バレエ・メカニック』など。比較的平易な幻想奇譚『蘆屋家の崩壊』『ピカルディの薔薇』『猫の眼時計』なども。
1990年代はじめまで多数の幻想小説を書いた谷山浩子が20年ぶりに新作『Amazonで変なもの売ってる』を発表。
笙野頼子の『金毘羅』『萌神分魂譜』『海底八幡宮』なども幻想文学といえるかもしれません。
ホラーとまた違う形で現実にくいこむ「幻視文学」としては皆川博子。膨大な作品が有りますが2000年以降ものでは短編集で『猫舌男爵』『少女外道』長編では『伯林蝋人形館』『双頭のバビロン』など。歴史小説や推理小説の形でも書かれ作品によって「幻想度」が異なりますが長編は絢爛な物語で短編は鋭利なイメージ、長編小説の女王で短編小説の魔女。直木賞、文化功労者。
他にもSFやミステリーのジャンルでもファンタジーにも分類できる作品、現代小説や時代小説とされる作品でファンタジー・幻想文学といえる作品もあるでしょう。
ネットで検索していると批判的に「日本はファンタジー後進国」「日本のファンタジーは独自性がない」だとか「今のファンタジーはありきたりなものばかりだ」というような意見を書かれるのを一部で目にしたりもします。
もちろんネットでは目立つ小説投稿サイトやライトノベルでは「内容の軽い」「テンプレート」を用いた作品も多く、オリジナリティがそれほど強くない作品も人気を得ているのも事実です。
しかしそれが何か問題のある事なのでしょうか。
そういった作品は読者の敷居も低く、簡単に楽しむことができ、キャラクターに感情移入や愛着を持ちやすく、好みに合えば生活を豊かに出来る優れたツールです。
日々のストレスや面倒な現実からの息抜きとしては何の問題もない、むしろ毎日でも楽しめる、ファンタジーの一つの目的である「日常からの飛躍」という点ではすぐれた作品であるという事が出来ます。
多くが入りやすく、ストレスが少なく読め、飽きさせない工夫がされている「サービス」の良い作品です。平易な文章、スピーディーな展開、「キャラクター小説」ともいわれ基本的にはいちいち読者の価値観を大きく揺さぶったりはしません。「お約束」をベースに楽しむ読書です。(好きな作品もあります)
基本的にはライトノベルは本来的には読書経験の少ない少年少女、大人であっても「低コスト」で読書を楽しみたい人に向けられた作品です。
ジャンル小説の娯楽作品の多くがそのジャンルの「お約束」を用いた「テンプレート」を用いた作品です。ごく一部の作品が新たな「テンプレート」をつくり、多くの作品がそれを利用しその中で個性を表現し、一部の作品がそれを発展させときには逆手に取ります。
読書などの創作物を用いる娯楽は文化的な文脈・前提に基づき理解されます。基本的には「テンプレート」そのものが問題では無いはずです。推理小説において『モルグ街の殺人』で成立した「名探偵」、ウェルズで一般化した「タイムマシン」の「テンプレート」を否定する人は少ないはずです。
「軽い」作品が受け容れ易いのも当たり前です。金銭以外のコストを受け手に求めるジャンルは一般的に広く理解されないでしょう。「ライト」な作品から市場から評価されるのはやむを得ないでしょう。共通の前提に基づく作品は多くの場合「読み易い」はずです。
一方、この記事や前の「今どきの日本ハイファンタジー小説」で描いたような子供や若者には難しいかもしれないような作品、オリジナリティの強いファンタジー作品も日本では多く発表されています。
何度か見かけた「日本のファンタジー小説は指輪物語の真似ばかり」というような言説は事実ではありません。
多くの作家が独自のファンタジーに挑戦し、すぐれた作品が多くあります。「すみわけ」がされ必要とする読者にはある程度は届いているように感じます。発表する場や「レーベル」によって作品のタイプが変わるのは特に問題はないでしょう。
逆に「日本ファンタジー」を批判する方はどれだけのファンタジー小説をお読みなのでしょう。こちらで書いたような作品を具体的に挙げて論じている方は見かけません。
何かを論評する場合、その何かについての基本的な事実関係をおさえるべきだと考えます。無知に基づく推測で論評すれば同じように無知で不勉強な人の支持を得られるかもしれませんがそういうのを「藁人形論法」ともいうはずです。
偏見に基づく粗雑な感情論になりがちです。建設的は論評にはなりにくいでしょう。
目につきやすいライトファンタジーなどだけを見て単に否定しているだけに見える意見が少なくないように思います。
ライトファンタジーなどはファーストフードやコンビニ食の様なもので誰にでも手に取りやすく敷居も低い(十分においしい)もので、ここでいう大人向けファンタジーなどはレストラン料理のようなもので作品によって異なる敷居も高く素養や集中力を必要とする(好き嫌いもある)もの、両方ともある現代日本は独自性のある幅広い作品が存在する悪くはない状況だといえると思います。
日本でも「ファンタジーゲーム」「ハリー・ポッター」「ライトノベル」などを経て、徐々にファンタジーの地位も向上してきているといえるのかもしれません。
これには反論があるかもしれません、英語圏のファンタジーの方が質量ともレベルが高い、若者向けファンタジーでも英米では「硬派」な作品も多い、といったものです。
しかし英語圏の読者は日本語圏の読者よりはるかに多く、人口は少なくとも4〜5倍を超え場合によっては英語読者は10倍近いといえるでしょう。作品も多いのは当然で、翻訳されるものはすでに評価された良作傑作の比率が高いのは当たり前です。
この記事や前の「今どきの日本ハイファンタジー小説」などで書いた作品のうち上位20作位だと「世界レベル」に達していると思います。児童書やライトノベルでも優れた作品もあるでしょう。
個人的な見解としては少なくとも2000年以降は毎年のように大人向けの「傑作ファンタジ―」が発表され「良作ファンタジー」も毎年複数はあると認識しています。*4
もちろん「剣と魔法」や「魔法使い」「エピック(叙事詩)ファンタジー」での英米作品の「強さ」は認めざるを得ません。日本のファンタジー市場でも翻訳ものは重要な役割を果たしています、国産がくいこむのは容易ではありません。
それと日本には「マンガ」や「アニメ」の大市場が有りそこで多くの「ファンタジー」が書かれ、日本のファンタジー需要の多くを占めています。「鋼の錬金術師」「七つの大罪」「イムリ」などが知られますが実際は「ONE PUECE」や「NARTO」などもれっきとしたファンタジー作品だといえます、「ハイファンタジー」に分類することも可能です。他にも数多くのファンタジー作品がマンガで占められ、硬派な作品も数多くあります。英米圏ではマンガコミック市場は小さく(仏語圏ではバンドデシネもありますが)日本よりも活字文化の役割が大きいのは当然でしょう。
欧米の「剣と魔法」や「エピック(叙事詩)ファンタジー」の役割の一部を日本ではマンガが担っているとも考えられます。
ついでにもう一ついえば時代・歴史小説が特にアメリカの戦記剣劇ファンタジーの役割も果たしているのかもしれません。*5
とはいえ硬めのファンタジー作品で売れているのはごく一部で小野不由美の(もとは「ライトノベル」ともいえるが)『十二国記(現時点で10巻)』が累計800万部以上(1000万部近いかもしれない)、上橋菜穂子が『守り人(全12巻)』シリーズが500万部くらいらしく『獣の奏者(全5巻)』シリーズが300万近く(これらは文庫も含む)、『鹿の王(本屋大賞受賞)(上下2巻)』も単行本だけで100万部とごく一部に人気が集中し、他には『八咫烏(現在5巻)』シリーズが現時点で65万部(文庫含む)だとかで、売れるモノは売れていて、他に軽めものでシリーズ化されている作品などは人気が有りますが大人向けの「硬派」なファンタジ―が一般にそれほど売れないのは事実でしょう。
ライトノベル系のファンタジーの方が売れている作品は多いようで書店に行くと何万部売れているとの宣伝文句を見かけます。シリーズ化される作品が多いのはそれだけ売れているという証明です。
商業小説というのは売れなければ作品を出させてはもらえません。比較的売れる確率が高いと思われるライトノベルのファンタジーが数が多く目立つのは仕方がないことです。
硬めのファンタジーや幻想小説を盛んにしたいのなら読者が増えないと仕方がないでしょう。 一般小説のファンタジーやライトノベルでもそこそこ硬派な作品を書く新人らが書いた良い小品、佳作がそれほど話題にならず、埋もれてしまっていることも有ります。
幻想を友とし、想像力の翼をひろげる書き手や作品は少なくはありません。オリジナリティのある作品もこの先、増え続けるでしょう。
ただ、ライトノベルも結構ですが、それほど「サービス」の良くない「大人向け」のファンタジー作品ももっと読まれてほしいと感じます。
ライトノベル「慣れ」している方にとってはその形式から外れたタイプの作品は読みにくいかもしれません。
なんだかんだといっても大人向けファンタジーは欧米ファンタジーでも一部を除けば日本ではマイナージャンル。ライトノベル国産ファンタジーと比べると中規模書店あたりの売り場面積を見れば市場規模の違いは明らかでしょう。
そしてリアリズムでない作品に共感できない大人もまだまだ多いでしょう。
国内の「大人向け」ファンタジー・幻想小説の市場は大きくはありません。もしこの記事で一人でも多くの読者が増えるのならばうれしいと思います。
*1:よりファンタジー・幻想小説について興味があれば荒俣宏『別世界通信』種村季弘や東雅夫の著述・アンソロジー・編集、小谷真理や井辻朱美の著作、アーシュラ・K・ル・グィンやリン・カーターのファンタジー論も参考に。
*2:2018年中くらいにはなんとか内容にも触れる「21世紀日本ファンタジー小説ベストセレクション(仮題)」を書くのを目標としています。
*3:ちなみに「オールタイム」の有名ライトノベル異世界ファンタジーとしては『ロードス島戦記』『アルスラーン戦記』『デルフィニア戦記』の「三大戦記?」や『魔術士オーフェン』『レイン』『皇国の守護者』等があり、『彩雲国物語』『風の大陸』『流血女神伝』辺りも大河ファンタジ―。『スレイヤーズ』『キノの旅』『フォーチュン・クエスト/デュアン・サーク』『翼の帰る処』『狼の香辛料』はもう少しライトなタイプの異世界ファンタジーといえるでしょうか。
*4:アメリカではヒューゴー賞とネビュラ賞がSFとファンタジ―双方の賞でローカス賞にファンタジー部門が有り、世界幻想文学大賞など多くのファンタジー全般の商業作から選ぶ賞が有りますが、日本では日本SF大賞は基本的にSFだけ、泉鏡花文学賞もファンタジ―中心ではなく、公募賞を除く大きなファンタジー賞がないのは残念です。アメリカではSF作家がよくファンタジーも書きます。
*5:日本の小説市場での翻訳と国産の力関係としてはエピックファンタジーや魔法ファンタジーでは英米が強く、「ハーレクイン」系などのロマンスでは英米が強いものの国産が追いすがっていて、SFはほぼ対等で、ミステリーとその他のファンタジーでは国産の方が少し上、一般文芸と「文学」系や時代・歴史ものでは国産の方が強いという認識です。海外ノーベル賞作者でも「古典」を除けば「文学」系はそれほど売れないのも事実でしょう。