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リテラシーと理解について考える

神話としての日本刀

 日本の大和の人々の中だけではなく場合によっては海外の多くの人たちからも畏怖と敬意を持たれる「日本刀」。
 その美しい姿、鍛えられた見事な鋼の輝き、切れ味の素晴らしさには魅了されます。
 達人に用いられる日本刀の佇まい、在り方は深い精神性と高度な美的感覚を感じさせる「日本の誇り」であるとされてもいます。
 このような素晴らしい「伝統文化」を持つ事は大きな喜びです。
 刀匠、研ぎ師、白銀師、鞘師、塗師、柄巻師、金工師、蒔絵師、彫金師、たたら師の方々の研鑽と努力、そしてその技量の素晴らしさについては深い感銘を受けます。
   
 小説やドラマ、漫画等でも日本刀は扱われ、多くの作品で人が刃物に持つ根源的なイメージを表現する役割を持たされています。
 作品によっては達人が使えば近代兵器や現代文明の利器をも簡単に切り裂く無敵の存在として描かれます。
 神秘的な切れ味を持つ伝説的な刃物である日本刀は象徴的な意味を持たされながら実像については「よくわからない」人の方が多いでしょう。
   
 現代における「刃物」としての日本刀について考察を試みます。
   
 一般に「鉄」といわれる金属は炭素が加えられる事によって大きく性質を変えます。
 炭素が0.02%以下だと「純鉄」0.02〜2.1%だと「鋼」2.2%以上になると「鋳鉄」と呼ばれます。鋳鉄は南部鉄器等で見られます。
 鋼は伸びやすく加工も容易で、弾性があり丈夫で、「焼き入れ」等の熱処理によって性質を操作しより硬くすることが可能です。
 刃物で使われる鋼は「特殊鋼」といって「普通鋼」とは異なる用途にあてられます。
 その意味では日本刀に使われる鋼も「純粋な鉄」というものでは無く、多くの元素が適切に含まれた高機能の「(広義の)合金」です。純鉄は焼き入れも出来ません。所謂「軟鉄」といわれるのは純鉄と一部の低炭素の軟らかい「軟鋼」のことを指すようです。
>日立金属 特殊鋼ってなに?
http://www.hitachi-metals.co.jp/hagane/index.htm
   
 現代刀でも用いられ「伝統的な」日本刀の刃材として用いられる玉鋼は砂鉄を原料に「たたら」という製鉄技術で作られます。
 コークスなどを用いる多くの製鉄法に比べ木炭を使うたたら製法は原始的な技術では有りますが、鋼に不純物として存在し品質を低下させるとされる燐や硫黄などの成分が少なく、「きれいな」鋼を作ることが出来るとされています。
 現代の日本刀はこのたたらによって作られた鋼で作られます。たたらで作られた鋼には品質にむらがありますが鋼材は刀にする目的にあわせた品質により等級が分けられ、基本的にはその中で高い等級の鋼で日本刀は作られます。
   
 それに対し現代の主流の鋼はコークスなどを使う製鉄法で作られた鉄鋼から不純物を取り除き、必要な成分を添加し、目的にあわせた鋼材を作ります。科学・技術を用い、金属の性質を計算し機能性を持たせる「人工的な」合金です。
 例えばタングステンを加えるとより硬く強靭になることやクロームモリブデンを加え強度を高めたりバナジウムを加えきめ細かな材質にします。クロームを大量に加えると錆び(ステイン)難い(レス)「ステンレス鋼」になります。
   
 近代的な技術を用いた刃物鋼も多く存在します。工業的な加工などでも使われる素材が転用される場合もあります。
 主として比較的安価で加工しやすい炭素工具鋼、より強靭で衝撃に強いダイス鋼(合金工具鋼)類、それより高温での使用も可能なハイス鋼(高速度工具鋼)などや専用の刃物鋼も有ります。
 粉末冶金という高度な製法を用いた粉末高速度工具鋼(粉末ハイス鋼)を用いた刃物も近年では見られるようになりました。
   
 現在用いられる刃物の鋼はどの程度の「実力」を持つものなのでしょう。
 鋼の性能を示す指標には幾つかのものが有りますが刃物の場合には硬さを示す「ロックウェル硬さ」という圧力をかけて硬さを調べる基準が多く用いられます。多くの場合はダイヤモンドを用いて「HRc」といわれる単位で表記されます*1
 以下に書くような特殊鋼は微量な成分のほんの少しの違いや原材料の誤差程度のばらつき、熱処理の加減によって幾らか幅のある性質の変化により硬度などのは揺らぎがあります。少し幅のある書き方になります。
     
 日本で刃物として用いられる鋼材としては「安来(やすき)鋼」が知られています。
 日立金属の島根県にある安来工場で作られる刃物鋼で、玉鋼を基に近代的な製鋼技術を用い一般の炭素鋼より硫黄や燐などの不純物を除いて作られた高品質の鋼です。
 比較的不純物の多い黄紙鋼(2号のみ)、純度の高い白紙鋼、少量のタングステンを添加した粘りのある青紙鋼(1号と2号)があり、その中にも1号2号3号と等級があり数字が小さくなるほど炭素が多く硬い鋼になります(白紙には3号以下の白紙鋸材、青紙には1号の上の「スーパー」がある)。他にステンレス刃物鋼の銀紙鋼もありこれは3号が最も炭素が多く1号は炭素が比較的低く5号がより対錆性を高めた鋼になります。
http://www.hitachi-metals.co.jp/pdf/cat/hy-b10-d.pdf(pdfです注意)
         
 鋼やステンレス鋼は熱処理を行うことによってマルテンサイトという硬い構造に変化します。その「合金類」ごとに特性が微妙に異なり「焼き入れ」や「焼き戻し」の温度などで大きく硬さや粘りが変わる為に高度な管理と目的に見合った熱処理が求められます。
 特に鋼の場合は硬さを求めて熱処理を行うと粘りが無くなり折れやすくなったり、簡単に欠けてしまう等の問題が起きる可能性もあります。「切れ味」や「刃持ち」とも関わる重要な技術です。
 炭素が多い(最大1.6%位まで)ほど硬くはなりますが、基本的には炭素の量が多く不純物が少ないと熱処理の正確さが要求されます。
 ステンレス鋼の場合は比較的粘りがあり折れたり欠けたりはし難いのですが「切れ味」が劣る場合や粘りが有り過ぎ研ぎ難く通常の砥石では簡単に研げないことも有ります。加工が困難で刃物の研削・切削加工のコストが高くつく弱点もあります。
    
 和食の調理師の用いる包丁は基本的に白紙2号か青紙2号、比較的安価で使いやすい「霞」といわれる軟らかめの鋼と鍛接した物が標準で一部では研ぎ難い全鋼の「本焼き」や加工も使用も困難な白紙1号青紙1号を使う職人もいます。
 標準的な白紙2号のロックウェル硬さはHRc60〜62、青紙2号はHRc61〜63とされています。1号の場合はプラス2程度、青紙スーパーは最大でもうプラス2位と考えられています(恐らくHRc65以上)。多くの場合は硬度が高いほど使用に高度な技術が必要で高価にもなります。
   
 大工や木工の専門家の用いる鉋は木や目的ごとに違う物を用いる方も多いです。
 調理師よりも硬めの白紙青紙の1号の方を使う人も多いようです。包丁より刃長が短いので加工が幾らかは容易でコスト的にも入手や使用が容易である事も有るようです。
 鉋の場合包丁よりも硬めに焼入れを行う傾向があるようです。よく「切れ」ますが使用や手入れを間違うと「割れる」事も有るのだとか。
 鑿の場合は衝撃を与える使用法が有りますから幾らか軟らかい目に焼き入れ、割れないように粘りを持たせるらしいとも聞きました。
    
 工具鋼は加工する素材によっても多様で炭素工具鋼は通常は〜HRc62でランドールのO-1がHRc60前後、ダイス鋼ではHRc65を超えるものも有りますが刃物で使われるD2でHRc62まで、ハイス鋼もHRc65を超えるものは有りますがM-2でHRc61〜63、粉末ハイス鋼はZDP189のようなHRc68までいく(らしい)物もありますが…知っている範囲で言えば通常はHRc65程度が実用的でしょうか。
  
 所謂刃物用ステンレス鋼及び準ステンレス鋼では標準と考えられているのが440C鋼です。元はベアリング鋼で錆び難い440シリーズ(ABC)の中では最も炭素含有が多くステンレス鋼の中ではまあまあ切れます。HRc57〜58位で硬いわけでは無いのですがそこそこの粘りが有り「切れ味」をそれほど必要としない場合には実用的です。銀紙1号もさび難く440Cとほぼ同等かもう少し切れますHRc57〜58。銀紙鋼は3号が最も炭素が多く良く切れます、HRc60前後、ステンレス鋼としては少し錆びやすく衝撃に弱い印象があります。切れるステンレス鋼としてはアメリカの154CM鋼とほぼ同じ特性を持つとされる日立金属のATS-34が知られます。幾らか研ぎ辛いですが丈夫で良く切れ刃持ちも良く錆び難いバランスの良い刃金です、HRc60強。武生特殊鋼材のV金10号(VG10)は良く切れ比較的に研ぎやすいです、HRc60弱。近頃流行のCPM-S30Vは錆び難く丈夫で刃持ちも良いそうです、HRc60前後だとか。
 
 少しわかり難いのが「スウェーデン鋼」と呼ばれる鋼です。おそらく(ボーラー)ウッデホルム社かサンドビック社の工具鋼や刃物鋼とINOX鋼のようなステンレス鋼も含まれるはずですが品番やスペックが明らかにされることは何故かあまりありません。
 高品質な鉄鉱石から作られる事で知られ粘りが有り切れ味も良く研ぎやすく、炭素鋼として比較的に錆び難い印象です、準ステンレス鋼かもしれません。刃物用の鋼材としては個人的な印象としてHRc58〜59程度のような気がします。
   
 そして問題の「玉鋼」ですが調べてもスペックはわかりません。多分作るたびに品質が違い、部分や等級によっても成分が異なり、刀匠の加工処理によっても性能が異なることは間違いありません。
 あまり品質のよくない日本刀を調べたものはHRc56〜58*2というものが有ったそうですが平均でも最高品質でもありません。
 とはいえ自然科学的な常識を超える物が存在するとは考えにくいです。
 恐らく成分的には白紙鋼をそれほど超えるものではないでしょう。
 現実に最高硬度でHRc65を超えるとは考えられません。
 では「本物の」日本刀はHRc62〜65程度の硬度と考えられるのでしょうか。
            
 それは考え難いでしょう。上の白紙鋼の硬度は包丁や鉋・鑿などの丁寧に使う刃物の熱処理の基準です。
 好む好まざる関わらず武器として乱暴に扱われ、鎧兜に打ち付けたり刀同士をぶつけ合いや相手側からの攻撃を受ける事もある「戦いの道具」としては焼入れが硬過ぎます。そこまで硬度を上げると簡単に欠けたり曲がったり最悪の場合は折れることも有ります。
 幾ら軟らかい鋼との複合材にしても限度は有ります。寧ろ曲げについては硬さの違う鋼を張り合わせる製法の方が弱いと考えられます。
 包丁や鉋・鑿では有効な技法でも遥かに厳しい条件で酷使される「刀」とは条件が異なります。
 特定の素材や使用法にあわせた刃角*3のや研ぎが存在します。日本刀とは異なります。比較的近い使用法の「鉈」であっても「木」に食い込む事を目的にした刃が付きます。共通する部分もありますが異なる部分もあります。
           
 四方詰めや本三枚鍛えなどの複合構造にするとしても折れたり欠けたりしない為には熱処理後を弱めにし「焼き」を甘くしたHRc60以下にしない限り実用的では有りません。
 耐久性を求め「切れ味」や「刃持ち」を幾らか犠牲にしないと実戦では問題です。多くの場合は厚めの「はまぐり刃」に研ぐとしても限界は有ります。
 「純度」が高いともいわれる玉鋼は邪魔な燐や硫黄だけではなくクロームやニッケル、モリブデンバナジウムタングステンなどが殆ど含まれていないので粘りや柔軟性に欠ける「硬い」鋼です。その割には脆く現代の合金から見れば機能が劣ります。
 折り重ね叩いて鍛えてもそれほど極端に性質は向上しません。鍛冶仕事も魔法ではありません。
 折り返しの鍛錬は金属に含まれる不純物を「叩き出す」事と鋼の結晶の構造を刃先が切れるように「並べる」為だと聞いています。叩きすぎると炭素も抜け出し組成も崩れ寧ろ品質は低下するはずです。
             
 個人的な印象では有りますが白紙鋼は青紙鋼より「刃味」が良く、吸い込むように切れます。
 刃味については日本国内でも東西や調理師や刃物職人でも用語の使い方が違うのでこの言い方でわかるとは思いませんがある意味で「甘切れ」します。これは他の鋼ではない切れ味です。包丁などの切れ味については「本多式切れ味試験機」という機械が測定に用いられています。
 白紙鋼の特徴としては砥石への乗りが良く「本刃付け」を行うと見事な刃が付き、一般的な店頭に並ぶ包丁に有るようなこぼれ難い「小刃止め」を行う「小刃付け」でも良く切れ、本刃付けの戦場での簡単な研ぎなおしである「寝刃合わせ」も容易であるということです。
 実際に刀鍛冶の方に作って頂いた白紙鋼の狩猟ナイフも使いましたが切れ味は素晴らしいですが素材の特性を超えるものではありませんでした。
 恐らく玉鋼もその意味での切れ味は素晴らしい筈です。
               
 しかし現在の技術に基づく新しい「戦闘用」刃物の鋼としては日本刀の神話は過去の物であると考えるしかないでしょう。
 打ち合わせた場合の「強さ」でも硬いものを切る「切れ味」でも「刃持ち」でも現代の高級刃物鋼や合金工具鋼には及ばないでしょう。
 錆びに弱くデリケートな日本刀は物語の中のような大活躍は有り得ません。
 美しさと刀匠の技量の素晴らしさを鑑賞する美術刀として「日本」の伝統文化として誇るべきです。
      
 今の日本の刀や刃物関係者だけではなく多くの人々も包丁や鉋・鑿では意味のある硬度重視の刃物観に引きずられ、過度な「日本刀神話」を再生産しているようにも見えます。科学的な検査・分析を避け「神話」の形成を容認しているようにも見えます。
 日本人の優れた美的センスから日本刀を表現に取り入れた映像作品は恐らく世界でも高く評価され「神話化」に寄与しています。
 仕事として日本刀に携わる方などもあまり「リアル」な事実を述べる事は「身もふたも無い」と考え多くを語らないのが現実です。
 「切る」という行為にしても「削る」「彫る」という行為にしても刃物を用いる形には多様な形がありその目的に見合った機能が想定されます。専門家の研究や工夫により日々進歩を続けているものです。
 「戦う」についてもそれに見合う刃物の在り方は現代的な技術から見れば理屈の上ではより新しい見解はありえます。
 現実に「戦い」の場から離れ、美的精神的な役割を担う日本刀の美しさ、素晴らしさはそれとは異なるものです。
 逆に最新の技術を用いても極端に「凄い新日本刀」が出来るわけでもありません(ZDP189でHRc68に作った日本刀は脆い筈)。
       
 最高の日本刀を達人が使う場合には鉄をも切り裂くと考える方もいるかもしれませんが、明治20年の「天覧兜割」においても名手が名刀を用いても上に書いた日本刀の性能を超えるものでは有りませんでした。
 古刀や名刀は文化財として破壊検査が認められないために今でも「謎」の多い日本刀ですが刃物の機能としては不合理は存在しません。
 水心子正秀であっても見直しは必要でしょう。
 「刃物神話としての日本刀の実像」として思うところを述べてみました。
  
 〔参考〕
>常三郎鉋(かんな) 解体新書 鋼
http://www.tsune36.co.jp/shin_01.html
>手前板前 包丁
http://temaeitamae.2-d.jp/top/t4/index.html 
>日本刀と包丁 藤寅工業株式会社
http://tojiro.net/jp/guide/material_japanese_sword.html 
>日本刀考及び軍刀雑妙
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_028.htm
   
 続編http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120217
       
【追記】
 現代を生きる刃物について詳しい専門紙の記者のブログです。   
>日本刃物工具新聞発 記者ぽっ歩
http://blogs.yahoo.co.jp/hamonokougunp

*1:〔追記〕一般的には刃物鋼はHRc52程度からでHRc55位からがそれなりに「切れる」「刃持ちの良い」刃物。HRc58位から高級品。

*2:〔追記〕藤田金属工業http://www.kansai-fkk.co.jp/break.html

*3:〔追記〕野菜を切る片刃の和包丁「薄刃」で15°位、魚の「柳刃」で20〜25°位、「出刃」で30°位が標準。鉋は30°が標準で柔らかな木用が25°堅めの木用で35°程度だとか。日本刀と鉈は30°から38°位らしいです。