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リテラシーと理解について考える

古代ローマ帝国の税制と社会 「ローマ人の物語」について その1

 前にも坂本龍馬についての記事 で書きましたが歴史の知識を小説などの「物語」から得ることには限界があり、簡単に「事実」として「解釈」する事が余り良いとは思えません。
  
 その記事の中で述べた作家塩野七生氏の「国民的ベストセラー」の「ローマ人の物語」という「小説」ですが、この「創作物」を歴史の事実についての勉強に用いることには問題があります。
 ネットで検索してみると古代ローマ帝国の税制や社会について「ローマ人の物語」を「読んだ」だけで書いたと思われる記事や情報を幾つか見かけました。
  
 この辺りに多く見られるのはローマ市民に対する殆ど「無税」といえる税制と属州における「十分の一税」についての解釈です。
    
 現代の日本の税制や社会制度と古代ローマの制度を比べ、ローマのほうが効率的で暮らしやすいといった理解で書かれていることが有るように見受けられました。
 その部分だけで理解すると他の古代・中世の社会だけでなく近代国家よりも優れた社会として理解してしまうようです。
     
 古代ローマ帝国の統治制度は時代によっても変化はありますが基本的にはギリシャ型の都市国家の影響を受けた「ローマ」とその「市民」が他の「自由」な社会(国々)とそこに暮らす人々を「保護する」という名目で成り立ちます。
 奴隷制度もありますが基本的には人種問題では無く一応は生命も保証され、解放制度もある古代・中世の社会としてはそれ程特殊なものではありません。ある意味「近世」の社会よりもましな部分もあります。
  
 イタリア本土の都市国家でも共和政後期にはローマ市民として認められ、その他の属州であっても広範な自治が認められており元の住民の社会や制度に対し強い介入や同化政策もなく、属州でもローマ本国からは総督が派遣され軍が駐留する事も有りますが基本的には自治が認められる「自由」な「盟邦・友邦」であるとされていました。
 総督の役割もローマから課せられた税金を徴収し、司法の一部を行ない外敵から属州を守る為に派遣されている事になります。
 帝政期には外敵等との緊張関係のある属州は「皇帝」直轄の属州とされ皇帝から任命された総督とローマ軍団が駐留しますが、安定している属州には元老院から派遣される総督が赴任し軍事と財務・司法を統括します。(共和政期には元老院から任命されていたよう)
   
 イタリア本土では基本的には所得税等はなく、「市民」にはローマからの「小麦法」による食料の配給が約束され、娯楽や社会インフラも政府や有力者が行い、「市民」には兵役の義務はありますが生活そのものは国や社会が責任を持つとされていたようです。所謂「パンとサーカス」です。
 ローマ本国政府はその他有名なローマ軍工兵が整備する「ローマ街道」や水道などのインフラ、軍事費についても責任を持ちそれは属州にまで及びます。
 そしてその原資は先ず第一には属州に対する税金「十分の一税」であるとされています。ほかは幾らかの関税や極低い相続税と「奴隷解放税」あたりが財源であると基本的には考えられています。
 「ローマ帝国」は其の巨大な領土に対し極少数の役人による「小さな政府」であることが知られています。社会は「名誉]の為に働く「市民」と自己責任による自治により運営され、複雑な官僚機構を持たずコンパクトで強く柔軟な「帝国」が「ローマの平和」を築きます。
 「ローマ人の物語」には「帝国」の社会システムについての詳細な記述があり、税金だけでなく軍事やインフラについても大量の文章が書かれています。
 専門家ではない普通の人間の読む「古代ローマ帝国」の情報としては読みやすく面白く、とても詳細で具体的なものです。
    
 塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読んだ方の中にはこの部分等を現代社会と比べ「優れている」と理解する人がいるようです。
 古代ローマ帝国の社会システムの「効率性」に基づき、近代国家の税負担が過大で制度に無駄が多く人々が「甘やかされている」と考える人も居るのかもしれません。
 「自由」と「責任」の存在する偉大な社会である「ローマ」に比べ今の「日本」社会は何と低俗で怠惰なのだろうか、「戦後民主主義」はどれだけ脆弱なのだろう、と。
      
 勿論そのような読み方は大きな間違いです。
 歴史の事実の認識についての無理解と無知に基づき、自分にとって都合の良い「物語」を勝手に読み解く非科学的で知的に不誠実な姿勢です。
   
 たとえば根本的な誤解の一つは『ローマ帝国内の属州では住民には「十分の一税」のみしか公的な負担がない』と理解する部分です。
 ローマ帝国イタリア半島の「市民」の「パン」を無償で配布しある程度の福祉も保証します。半島だけではなく属州に於いてもローマにとって必要な道路は整備しますし「ローマ市民」にとって必要な水道等のインフラも行い兵士の給料も支払うようです。
 多くの公共的な役割は有力「市民」による篤志により成り立ったともされます。
   
 しかし所謂現代的な意味での「行政」は行いません。
 近代社会のような政府が存在し行政サービスを行う事はなく血縁や利害に基づく集団や有力な個人を中心とする階層階級の存在する古代社会の仕組みです、現代のような個人の権利が存在し少なくとも建前としては政府が国民生活に責任を負う「くに」ではありません。
 ローマ帝国も「市民」に対しある程度の責任は持ちますが現代の行政とは異なる「仲間」に対する責任であって現代的な「福祉」ではありません。基本的には徴兵義務を持つ「軍人階級」に対する見返りで有ると考えるべきです。
   
 ローマ本国では「市民」にも「貧窮民」は存在しますが小麦法(パンの支給)と、パトローネスークリエンティスという有力者による父権的な擬似家族的な保護=支配関係による階級制度か存在します。その時代なりの社会制度です
    
 当然属州では現代的な行政は行われず現在の「自治」といわれる物ではなく一般的には古代社会の支配体制をそのまま引き継ぐ上流階級の有力者(貴族等)・大地主・大商人−中流階級の自作農(畜)・商人・工人−下層階級の無産者=小作農・雇われ者−奴隷というような「封建的」な[自治」社会が存在しその上にローマからの総督が統治している形です。
 入植する「ローマ市民」は基本的に中流階級以上の立場に成ります。属州では住民にはその地での「自治」が別個に有り負担が存在します。
     
 当たり前ですがそこで行われる「自治」とは現代社会とは異なるものです。
 時代や地域にもよりますが殆どの人間が中流以下の階級に属し、生きていくだけで精一杯の過ごしやすいとはいいがたい状態です。
 下層階級の人間にしてみれば基本的に上位の階級の人間に搾取されている状態です。
  
 ローマ帝国の「十分の一税」とはこのような属州の経済に対し収入の10%を課税するものです。
 「属州には十分の一税しかない」のではな「属州は十分の一税をローマに支払う」という制度です。
 当然このような社会では負担は基本的に力の弱い側に向けられます。
 女子供や老人に税がないとの書き様もありますが元々このような「家父長制」社会ではそれらの人には「収入」が存在しません。
 ほとんどの人間にとっては現代に比べそれ程暮らし易いといえる社会制度ではありません。
 
 とはいえその時代に於いては戦乱に巻き込まれ命を落としたり略奪に会うことよりも「ましな事」でも有るだろうとするのもおかしな考えでもありません。他の支配者に比べ「最悪」ではないとするのも正しいでしょう。
 だからこそ古代ローマ帝国は長く続き、大きな領域を支配し得たのでしょう。「ローマの平和」と呼ばれる繁栄の時代を築き、当時としては最善の社会の一つであったのは間違い有りません。当時としても戦乱のない日常は何よりもかけがえの無い事でした。
 当時の人類社会の4分の1を支配したともいわれ、長きにわたりシステムを維持し、のちの人類世界に大きな足跡を残した「帝国」です。
 しかし前近代の社会は現代の近代社会とは根本的に異なるものです。
 この「成功」はある状況における限定的な物であり過度な一般化は出来ません。ローマ史を引き合いにだす俗流社会論は無意味です。
    
 もうひとつ忘れてはならないのはローマは属州に対し「十分の一税しかとらない」とはしていないことです。
 先ず第一には徴税の経費についてはローマが負担したわけではないことです。「初代皇帝」アウグストゥスの時代に徴税が公務化されるまでは徴税請負は民間に委託され、請負人が自らが受け取る「経費」も含め徴収したために過大な「徴税」を行い大きな社会問題となった事は知られています。
 その後帝政(元首政)期にはローマの役人が徴税しています。軍の最高司令官でもある皇帝により国家予算が掌握されます。
    
 他には属州総督の経費も事実上多くは現地から「十分の一税」とは別に徴収されていたようです。
 属州には元の支配者から引き継いだものや地主から裁判等で没収した農地をローマが保有し「ローマ市民」には土地が払い下げられることもありますが、有力者に分配され多くが小作に出され大きな収益も上げていました。
 総督として赴任したローマ人が現地で総督が巨大な蓄財した例は数多くあり、豊かな属州の総督になるのは簡単ではなかったようです。
 例のキケロの事例にしても属州総督にはローマの絶大な軍事力を背景に司法権や徴税権を伴う巨大な権力があったのは間違い有りません。古代ローマ帝国では基本的に政府は軍政なので総督は其の地の「占領軍」の司令官という立場に成ります。
 属州総督に対し当然地元では多くの便宜を与えるよりほかは有りませんでした。
 属州の有力者も「ローマ市民」になることは多々ありましたが、殆どの住民には総督は「支配者」その物です。
         
 その上ローマは属州に対し必要な物資の供出を求めることも出来ました。
 農作物についてはローマ側が決めた価格での強制的な買い上げが有り、格安な値段での事実上の「収奪」がありました。
 他にもローマが公的に必要とする物資も属州に要求していました。略奪に近い事も起き、労働力も必要に応じて徴発されます。
 時代や地域によっては定額制の税制もあり安全保障という「サービス」に見合わない「収奪」も起きています。
       
 そしてローマ帝国では近代国家とは違い明文化された「税金」以外にも被支配者はローマの元老院議員や軍人などの有力者への「保護費」の支払いが事実上義務化されていました。不利な扱いを受けないために常に権力を持ち中央政界に影響力を持つ「保護者」へ莫大な献金が欠かせませんでした。
 これは所謂「賄賂」ではなく庇護される立場の当然の義務とされているので支払わないという選択はありません。
 属州だけではなくローマの事実上の支配下にある「独立王国」「同盟国」であってもこれは当然のようのに求められました。
 「王国」の支配者がローマの神殿や「市民」への「感謝」を形にすることは義務でした。
        
 幾つもの属州や属国がローマの「収奪」によって荒廃しています。
 軍事力による安全保障というサービスに対する対価とも言えますがそれは「ローマ」だけではなくあらゆる「支配」に一般的な物です。
    
 勿論ローマ帝国最大の穀蔵地帯エジプトは属州ですら無く「皇帝」の私領とされていました。
 地元の社会の上に「代官」が置かれローマにとって必要な量の穀物が「年貢」として徴収されローマに送られそれらによって「ローマ市民」のパン(食が)支えられていました。小麦については生産量の半分以上がローマに送られましたとされます。
 当時の小麦の収量が麦1粒から5〜6粒しか出来ない程度の生産性であり、産地によっては連作障害もあるという生産効率の低さも頭に入れるべきです。(日本の江戸時代の米は1粒から約30粒出来、水田は連作障害もない)「十分の一税」の負担が軽いとはいえません。
 その後支配者がアラブ人等に替わりますがエジプトが古代王朝時代の栄光を取り戻すことはありません。
 シリアもギリシャもローマの支配の後歴史の表舞台からは姿を消します。
          
 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20110407/1302103408に続く