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リテラシーと理解について考える

せんせいがた 追記アリ

 何時もに増して酷い事を書くので嫌な人は読まないほうがよいです。
>Kikulog 掛け算の順序問題について(山のように追記あり
 http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
 のコメント欄の教師らしい方やそれを支持する周囲の方の発言についてです。
    
 児童教育と云うのは児童の成長に対する介入で強制や強要が存在することは事実です。
        
 これを医療に例えると「掛け算の順逆」の便宜的な誤指導は、毒性のある薬を用いる集団投薬の方法と云えます。
 それ自体は医療において本来はやむを得ない部分は有りますが、他に毒性の問題の殆ど無い安全性の高い方法もあるのだから止めるべきではないかとの意見が出ているわけです。
 少なくとも理論上は安全性の高い方法もあるにもかかわらず現場の慣習に無自覚に用いられ、実際に副作用の出ている人もいるし、「後遺症」が残っている例も確実にある。
 本来なら投薬後に副作用を抑える治療も必要なのですが、適切に行われているとはいえず、後始末を他人任せにしている人やその必要性すら理解していない人も少なくない。
 すでに広く実行されているより安全性に高い方法で何かの問題があるとの証拠もない。
     
 だからその薬を使うべきではないという意見がでると、意味があるから問題ない、ずっと長年使ってきた、現場では重宝している、副作用も後遺症も例外である、自分自身は後始末をしている(つもり)だ、後始末すべき者の責任だ、プロを信用しろ、今はそれどころではない、と反論されます。批判するなら批判する側がどれだけ問題があるかを証明すべきだとのご意見もあります。
 「そもそも論」で、一人一人に合わせて処方箋を用意し、予後の管理が出来れば問題ないとの意見もなぜかあります。それが疑問のある指導方法が容認されていることと直接関係は有りません。
  
 個人的には毒性のある薬を投与する側が効果と問題のデータを用意すべきで、なぜリスクのある方法を選ぶのかについての説明義務はその方法を選ぶ側にあるように思います。
 他にましな方法があるにもかかわらず、自分が上手くいっているのだから(証拠な出さない)誰かがその方法で失敗してもその方法を否定するなとの反論は無理が有るように見えます。
     
 …で、まぁ、奥さんが教師をされているらしい方の発言によると現場ではちゃんとそのこと話し合い方針を立ているとか、理想論では回らないぞ現場ではそうするしかないとか、(根拠は無いが)その方が確実とか、批判するならそちらは根拠を示して責任ももてとか、必要悪だからとかまあ本質とは関係のない責任逃ればかりです。
 その挙句「今」現場は大変でそんな事までしたら「過労死」するだの云々…。
 この話は今の話ではなく、1970年代から有る話で40年近く前からあり、散々批判もされているのに一向に改善もされず、寧ろ意味不明の理由づけの「教義」すら増えている始末。40年先送り処か悪化しているようなものです。
 そんな意味の無い「方針」「必要悪」を用いなくても効果を充分あげている学校も教師もいくらでも居るのだから、いらない「話し合い」をする時間が有れば補習でも何でもすればよいのではと考えます。
 「自分たちのやり方」に固執して寧ろ自分に仕事だけではなく、周囲の仕事も増やした挙句「忙しい忙しい」「死ぬ死ぬ」言われても仕方ないです。よくある「駄目な職場」の典型ですね。
  
 言い方は悪いですが1時間授業を減らすために2時間会議を増やした挙句、クレーム処理に3時間使い、間違いを修正するのに上の学年で4時間使い、算数嫌いを増やし上の学校で授業を遅らせてそこで補習を10時間増やしている様な印象です。
 前の記事での「発言小町」での惨状を見ればわかるように確実にデメリットが有るといえます、既に内輪でしか通じない根拠のない因習にしか見えません。
    
 他にもご自分のブログでこの話を書いていて、そこで指摘を受けても散々認知的不協和を起こし長々と説明されても理解できなかったプライドの高い「先生」が、Kikulogで「偉い先生」に言われてやっと気付いたのは良いものの、自分のブログでは修正エントリも上げず此の話に触れもせず、判ってもいない「政治談議」やらを今迄どおりにご高説を垂れらるばかりです。
 基本的に過ちを認める習慣が無い方なのでご自分の取り巻きの方に恰好悪いのは見せないのか、普通は説明しなくても両方見ているはずだとか言うのでしょうか。
 ご自分のプライドは有ってもプロとして矜持はないのかなぁ、情報発信源としての責任感は無いようです。

(追記を入れられ間違いを認められたようです)2/22追記
 この方の元「お友達」の「知識人」さんもずれた発言をしてますねぇ……。

 後、その考えを支持していないとしながらも「そうするのにも理由があるのだろう」と弁護される方は「無理に考えればそんな考えも有るかな?」レベルの弱い論理を出された挙句、論に詰まると「よそで嫌なことを言われた」と逃げ出してしまわれました。最後に捨て台詞を言わないで話を終わらせられないのでしょうか。

 「教師個人を責めるべきでは無い」という言明もありますが、少なくとも個人レベルで「便法」を超えた無茶な押し付けをしている教師もいるようです。何十年も無反省に再生産される問題で「事故調査」では無いのですから高等教育を受けた専門家としては個人にも責任がある場合も考えられます。前提にする必要は有りません。
 受ける側に選択権がない形で供給される「教育」なのですから駄目な供給者は批判されてもおかしくは無いです。それとも生徒側に「ダメな先生」を避けることを認めるのでしょうか、生徒側がクラスを変えろとか先生をかえろ等と言わざるを得ないとする立場だと認めるのでしょうか。
    
 教え好きというか指導好きというか、実際は指導者ぶりたい人の自意識と党派的な論理にしか見えませんね。権威主義的な「指導」を自分の権利だとでも思っているのしょうか。
 教育者の「指導」という強制を伴う知識の伝達である「教育」とは公共の利益を目的として彼らに付与されている筈です。「我々には我々のやり方がある」で済ませられる話ではないはずです。
 本来の目的である「教育」を蔑ろにし、プライドと権益を守るための独善にしか見えません。
 この手の人たちは自分たちの信用は只だとでも思っているのでしょうか。言いたくはないですが「民間(又は「社会」)では通用しない人たちだね」とも感じてます。