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リテラシーと理解について考える

戦前のお好み焼き

 現在では大阪名物ともされるコナモノ大衆食であるお好み焼きの歴史ははっきりとはわかっていません。
 ネット百科事典Wikipediaでも戦前についてはわかっていないとされますhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%A5%BD%E3%81%BF%E7%84%BC%E3%81%8D#.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E6.A6.82.E7.95.A5
 他に「お好み焼ネット 第1回お好み焼き歴史探訪 http://www.okonomiyaki.to/library1.html」「お好み焼きの歴史 お好み焼き文明開化 オタフクソース http://www.otafuku.co.jp/laboratory/culture/history/his01.html
「 『神戸とお好み焼き』(三宅正弘)http://hietaro.kameo.jp/2015/04/post-960/」も。

 大正時代には既にあったとされる西日本に今もあるソース味の「一銭洋食」や「洋食焼き」又は「にくてん」などと呼ばれるクレープ状の小麦粉生地に具材をのせたものや、(明治時代に誕生したとされる)昭和初期の混ぜ焼きとのせ焼のある東京の「どんどん焼き」から派生したものとされます。現在ではクレープタイプは広島や神戸のものが知られます。
 昭和40年代には企業化と宣伝で大阪で名物とされ脚光を浴びますがその頃には既にいつ、なぜ「お好み焼き」と呼ばれるようになったかはわからなかったようです。
   
 戦前のお好み焼きの資料を見つけたのでここに挙げておきます。
      
 国立国会図書館デジタルコレクション「小資本開業案内 商店界編輯部 誠文堂新光社 昭和14年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262951/206?viewMode=」「お好み燒屋の開業案内」です。

 此の商賣は、もともと子供本位に子供洋食?、ドン/\燒きとして屋臺行商であつたものが(現今でも行商はやつてゐるが)店を構へ大人の客にお好みのものを勝手につくらせるか、またはそこの家の主婦なりがその燒臺の周圍に客を座らせ、いち/\客の好みに應じて手際よく燒いて進ぜる仕組を案出したものである。『商店界』誌上に之を紹介してからといふものは、こゝ三、四年のうちに全國花柳界を中心として、旺んに流行しだした新職業である。お客は大抵が青(下が月ではなく円)年男女で然も粋筋が多いから、場所は叙上の如く殆ど花柳界又は散歩地帯と限られてゐる。お好燒又の名をおたのしみ燒等と稱して看板を掲げて居る家もあるのはこの故である。

 次ページに「ウドン粉」ともあるので現在の「お好み焼き」につながるものなのは間違いないでしょう。具体的な形状はわかりません。
 子供向きの露店屋台のどんどん焼きを昭和初期位に店舗型の大人向きにしたものを「お好み焼」と呼んだとしています。「大人の客にお好みのものを勝手につくらせるか」「いち/\客の好みに應じて」焼くので「お好み」焼となったとみられます。
  
 他にメニューとして「オムレツ」「燒きソバ」「玉子燒」「玉子ソバ」「月見燒」「ビフテキ」「肉パン」「サンドウィッチ」「カツレツ」「あんこ燒」「牛フライ」「餅フライ」「シュウマイ」「ポテト野菜(草かんむりに采)」「よせ鍋」「どら燒」「てつぽう巻」「おしるこ」「イカフライ」「えびフライ」が挙げられています。
 現在では内容のわからないものも有りますが多様な軽食を出していたようです。  
 同一のメニューも多い昭和初期の東京のどんどん焼き屋については池波正太郎が多く書き残しているようです。山形や仙台、岩手、富山では現在も独自に発展したどんどん焼きが残っています。

 屋台や露店と行商形式の店が先行し、そのあと花柳界向けの店舗型の店が流行ったとしています。「こゝ三、四年」以前に『商店界』誌上で紹介したとあり、その内容を確認しないと正確な部分はわからない部分も有りますが、専門誌編集部の『商店界』が全国への「火付け役」「仕掛け人」だと自認しているようです。(『商店界』は1920〜1993にあった商店主や企業経営者向けの専門誌のようで発行者が初期は「商店界社」、のちに「誠文堂商店界社」、「誠文堂新光社」等と変わったらしい。「広告界」でもしられる)実際、「お好み焼き」類の全国への展開は昭和10年ごろから盛んになります。
   
【追記】「商店界」の該当記事は1935年(昭和10年)のおそらく12月号(15巻12号)の目次にある3ページの記事「〔斯んな商賣もある〕二百五十圓で出來るお座敷お好み焼 / 大畑甲子郎/p105〜107」だと思われます(〈注意〉リンク先では記事そのものは読めません)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2250237/86?viewMode=。 

 昭和10年くらいには「お好み焼き」名称と業態が商店界編輯部と誠文堂新光社のある東京圏でも存在しました。昭和初期あたりに「お好み焼き」名称が成立したようです。
 「おたのしみ焼き」という言い方も有ったというのは興味深いです。同時代の重要な証言といえるでしょう。
        
 そして当時の「お好み焼き」の形状としてはこちらに記述が有ります。
 「台所に敗戦はなかった: 戦前・戦後をつなぐ日本食 魚柄 仁之助 青弓社 2015/8/7」の51ページの写真で見つけたのですが、検索するとネットでも挙げられていました。
      
 「昭和15年2月15日発行 節米料理と栄養パンの作方八十種(主婦乃友附録)」の「粉類を使ったご飯代り十五種 お好み焼き」です。http://www.ffml.com/OLD/setumai/1.html

 宅では日曜のお昼食など、こんなものを簡単に焼いて頂きますが、子供達は案外喜びます。
 挽肉が少しありましたら申分ありませんが、それに、葱、椎茸、春雨(微温湯に戻して)などを刻んで混ぜ、そこへメリケン粉を篩い込み、水を加へ、しやもじで
滴してみてたらたらと落ちるくらいの固さに手早く混ぜます。
 これを、よく灼けたフライ鍋に油を引いて平に流し入れ、ホットケーキのやうに焼き上げます。
 御飯代りですから、焼きたてに生姜醤油がしつくりします。

 現在のキャベツ入りではないタイプの「お好み焼き」ですが、この時代には小麦粉でまぜ焼きをするものを指して「お好み焼き」と東京でも認識されていたことが確実だといえます。ウスターソース類も使うものと使わないものが両立していた可能性が有ります、のせ焼とまぜ焼きの両方が有ったとも考えられます。
 最初はある意味ではより多彩な「お好み焼き」があったのでしょう。キャベツやソースが標準になったのはこの後だといえるかもしれません。
   
 明治の東京の下町で生まれたとされる「文字焼き」「もんじゃ焼き」から派生した「どんどん焼き」が昭和初期頃に「お好み焼き」になり、大阪や広島などの「お好み焼き」に育ったと考えられます。同じく「どんどん焼き」系の「洋食焼き」「一銭洋食」「にくてん」を取り込む形でつくられていったのでしょう。
 源流は江戸時代にはあった「麩の焼き」「助惣焼」などの菓子の製法からだと思われます。
   
 「お好み焼き」名称の昭和10年以前の存在と当時の理解、どんどん焼きとの関係、昭和15年ごろのまぜ焼きを確認しました。通説の裏付けになる戦後のキャベツとソースのまぜ焼きお好み焼きへのミッシングリンクの一つが見つかったといえるでしょう。
  
【追記】「「関西風」のルーツは東京だった! 花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期 澁川祐子http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38464?page=4 」に書かれていた昭和6年 柳田国男の「明治大正史・世相篇(明治大正史. 第4巻 世相篇 朝日新聞)」「第二章 食物の個人自由」「七 肉食の新日本式 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1160219/48?viewMode=」に

子供相手の擔ひ商ひの方でも飴や新粉の細工物は通りこして、御好み焼などゝいふ一品料理の眞似事が、現に東京だけでも数十人の専門家を生活させて居る。勿論衛生に非常に注意するといふが、彼等の言によれば材料は馬ださうである。小兒が路頭で馬を食ふ時代になつたのである。

があり「お好み焼き」の初出だとされます。昭和6年初頭の本ですから5年以前の存在が確認出来ます。内容はともかく「お好み焼き」名称は大正末から昭和初頭の成立が推定出来ます。

【追記2】大谷晃一の「続 大阪学 (1994)」の「庶民グルメの味 お好み焼き P33〜34」では(「お好み焼き大阪発祥説」をとる本ですが)実体験の記憶として昭和8年頃に水溶き小麦粉を薄く流し焼いた生地の上に干し桜エビ、ネギ、かつお節、青のりといった具材をのせ、その上にまた生地を薄くのせて裏返して焼きソースで食べる「洋食焼き」が有り、その後昭和14年頃に花街近くで卵えびイカ山芋牛肉キャベツ等も入る混ぜ焼きの分厚い「お好み焼き」が存在していたとしていてこの記事との整合性が有ると考えます。

【関連記事】
新・とんかつの誕生 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20150922/1442901832

読書メモ抜粋その3

はてなブックマーク」に書いている「100字読書メモ」の一部、現在200冊強の簡易紹介です。
 飲食、酒造、歴史、刃物、銃刀、軍事等。
 最新>http://b.hatena.ne.jp/settu-jp/?url=http://www.amazon.co.jp/

うまいぞ!シカ肉―捕獲、解体、調理、販売まで

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長足の進歩を遂げた日本中世戦争史。兵装、鉄炮伝来、村落の武力、動員、城館についての新見解、兵站、海運といった「もの」やトピックから通説を見直す。既に最新の研究では無いが通俗合戦史とは一線を画す本格派 2012/12/12

銭貨―前近代日本の貨幣と国家 (「もの」から見る日本史)

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古代から近世初期の日本の貨幣史をもの・トピックから読む。近年の研究成果から「今」わかっている部分と論点のある部分も含め解説。富本銭から皇朝十二銭布貨米中国銭鐚近世三貨制迄。元明の鈔と高麗銀瓶等も 2012/12/20

市販ソースの味を付けかえる〜「自ソース」のススメ

 日本のウスターソース類は明治の初めに持ち込まれたイギリスのウースターソース(ウースターは地名)から独自の調味料として発展したものです。
 粘度の低いウスターソース、粘度のある中濃ソース、濃厚ソース(とんかつソース)から焼きそば用、お好み焼き用、タコ焼き用など様々なタイプに派生し、現代日本の食文化の一部を担います。
     
 地域によって幾らか好みも違い、東日本ではブルドックソース、西日本ではカゴメソースやイカリソースが大手とされますが、関西では小規模な「地ソース」が多くあることも知られ、広島発のお好み焼き用のオタフクソースが全国でも人気を集め、他にも地元で愛される多彩なソースも有り、近年では地域振興の形で新しい味わいのソースも登場しています。個性的なおいしいソースをつくる生産者が多くあります。
   
 関東などでは中濃ソースが多いらしいですが、関西では地ソースを含めウスターソースととんかつソースの二種類を常備する家庭は珍しくはなく、他にお好み焼き用や「どろソース」なども組み合わせて使う人もいます。
 一方、地域によっては店に少数の大手のソースしか置いていないところも有り、おいしいソース、好みのソースがない、又は割高なので買いづらい、あまり使わないので色々試せないといったことも有るようです。
     
 ウスターソース類は醤油や塩、酢などとは違い、もともと複合調味料というべきものです、いくつもの素材の組み合わせ、ブレンドによって味を作り上げます。
 これを改造し、自分でオリジナルソースといえるものを作ったり、好みの味に作りなおしたりすることは十分に可能です。独自のブレンドを作る楽しみも有ってもよいでしょう。
 ウスターソース類もメーカーによって味が異なりますので下の分量は一つの目安としてお読みください。
     
 簡単なところから書きますが、例えばウスターソースだと半量から同割りまで、中濃ソースだと2割から6割位までのトマトケチャップを入れるととんかつソース風のソースが出来ます。最低限の調味料しか持たない方で2種類のソースはいらないという方はお試しください。お好みで少量の醤油や砂糖、酢、砂糖や水あめなどで調整しても良いでしょう。

 ウスターソース3割、とんかつソース3割、トマトケチャップ4割(又はウスターソース2.5割、中濃ソース2.5割、トマトケチャップ5割)に醤油と砂糖又は水あめか蜂蜜(好みでほんだしも)か3倍濃縮麺つゆ少々でお好み焼き又はたこ焼きソース風にもなります。
         
 安いソース等では塩辛いだけでコクやうま味が足りないと感じるものもあります。 
 塩気をまろやかにし、コクやうま味を増すは例えばトマトジュースの類を5%から10%ブレンドすると味がまろやかになります。野菜ミックスジュースやフルーツがブレンドされたものを足すと複雑な味や甘みを加える事が出来ます。より濃厚なコクが欲しい場合は煮詰めたジュースを用いても良いでしょう。1〜2割程度のトマトケチャップも有りです、勿論無塩のトマトペースト(濃縮タイプ)かトマトピューレでもかまいません。フルーツ100%ジュースも砂糖や水あめも利用できます、甘みを入れるだけでマイルドな深みが増します。
 トンカツソースの様な粘度のある濃厚ソースだとマヨネーズやラー油などの油脂を用いてコクを増すことも出来ます。辛子やマスタードを加えることも有ります。
     
 試してみてお好みに合うようなら濃度の近いものだと混ざりやすいのでボトルに直に追加成分を入れシェイクするだけなので簡単にできます。別に空ボトルを用意しておき、それをブレンド用に使う手も有ります。一度少量のソースで試してみてください。
     
 飲食店でもウスターソースと中濃やとんかつソース、ケチャップや醤油や辛子マスタード等をブレンドしその店の「オリジナルソース」を作るところも少なくは有りません。
 同じメーカーのもの同士の方が馴染みが良いともいわれますが、別々のメーカーのソースをブレンドすることも有りえます。
 それぞれの個性を理解し自分の好みに組み立てなおすのも面白いでしょう。
 素材やメニューごとに異なるソースを使う店も有ります。
 串カツ屋の浸けて食べるソースはブレンドしたソースなどを3分の1から半量位の出汁か水で割ったものを用いる店もあります。
   
 例えばウスターソース8に対し、とんかつソースが2にトマトケチャップ1、3倍濃縮の麺つゆが1で焼きそばや焼うどん用のソースにもなります。
 トンカツソースに濃縮麺つゆを加えたり、ウスターソースと濃縮麺つゆを煮立たせ(【追記】水で味を調え)澱粉等で固めにとろみをつけたものをお好み焼きやたこ焼きに用いる事も可能です。
 麺つゆだけではなく焼き肉のタレやポン酢やノンオイルドレッシングを入れても良いでしょう。

 家でカレーライスを作る場合に独自の隠し味を入れる方もいるでしょう。
 ソースもカレーのように隠し味をいれたりして目的にあった好みのソースにする事が出来ます。
   
 一般に市販のウスターソースは塩分が7〜10%、とんかつソースや中濃は少し塩分が弱く6%前後、焼きそば用は塩分7〜8%、お好み焼き用が5%強でたこ焼き用は5%弱で糖分も多くとんかつ用よりも甘いものが多いようです。ちなみに濃口醤油は14〜16%、淡口醤油で16〜18%、3倍濃縮麺つゆで10%前後。
 基本的に焼きそばお好みたこ焼き用はウスターやとんかつ・中濃よりも酸味が弱く風味成分が多く加えられているようです。
 
 ソース類の裏面などに書いてある原材料を見ると酢や野菜や果物かそのエキス、塩、砂糖、スパイスの他、カツオなどの魚貝や昆布などの風味素材、醤油やオイスター(牡蠣)ソースやアンチョビ、魚醤が含まれているものが有ります。つまりこれらの副材料を用いる事でそれぞれ独自のソースが作られている事がわかります。
 ですからこれらの成分を追加しオリジナルソースを作ったり好みの味に作り変える事が可能だという事です。ジュースや麺つゆなどの成分で補うのに問題は有りません。
 チャツネの類やペースト、ジャムなどを加えたり「ほんだし」や固形スープを煮溶かして混ぜたり、ニンニクや生姜、カレーパウダー、唐辛子や黒胡椒等のスパイスを足すことも出来ます。
 手間をかけるなら追加成分を入れ鍋で75度位まで加熱すれば味の馴染みが良くなります(加熱後はできれば鍋ごと急冷すると香りや風味、酸味が飛ばない)。
    
 少量のソースで実験し、上手くいったものを常備したり、目的にあわせその場でブレンドする事も出来ます。個人や家庭で好みのオリジナルソースを作れます
 追加成分で塩分や酸度が下がったものは冷蔵庫で保存し、早めに使い切る必要はあるかもしれません。
    
 イギリスの本家のウースターソースは隠し味に使う事が多いそうで日本のソースよりも味がきつく、そのままで掛けるのというのはそれほどないそうです。
 日本では洋食の焼き物や揚げ物に直に掛けるソースとして改変が行われ、米のご飯とも会うように甘みがつけられ、とろみのあるとんかつソースや中濃ソースがつくられ、洋食とは言い難い「コナモン」にも用いられるようになり独自の文化を作り上げました。
 とんかつソースはもしかするとウスターソースをデミグラスやブラウンソースに似せるような発想で作られたのではないかとも考えています。
    
 現在では多くの味わいを持つソースが作られています。
 料理に用いる際にも揚げ物焼き物炒め物粉物だけでなく色々な料理の隠し味や素材のマリネや漬物、煮物や時にはデザートにさえ用いる事が出来るとされます。
 自分でもウスターソースを出汁で薄めて少し甘みなどを足してあんかけ焼きそばの味付けに用いたり丼物のたれとして使う事が有ります。鶏肉やレバーのソース煮もビールのあてになります。
 ウスターソース類をベースにしたタレやソースや下味や隠し味に用いた味付けも多くあります。
   
 ソースメーカ―でも多様な利用を提案しています。
 ブルドックソース http://www.bulldog.co.jp/recipe/ 
 カゴメ http://www.kagome.co.jp/recipe/search/index.html
 オタフクソース https://www.otafuku.co.jp/recipe.php
 イカリソース http://www.ikari-s.co.jp/enjoy/
    
 書籍だと「ブルドックソースレシピ帖http://www.amazon.co.jp/dp/4103333413」「オタフク お好みソースレシピ集http://www.amazon.co.jp/dp/4806147478」があります。
     
ちなみにウスターソース類の定義とは何でしょう。
 農林水産省ではこちらhttp://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/k0000102.html

次に掲げるものであつて、茶色又は茶黒色をした液体調味料をいう。
1野菜若しくは果実の搾汁、煮出汁、ピューレー又はこれらを濃縮したものに砂糖類(砂糖、糖みつ及び糖類をいう。以下同じ。)、食酢、食塩及び香辛料を加えて調製したもの
21にでん粉、調味料等を加えて調製したもの

次に掲げるもの以外のものを使用していないこと。
1野菜及び果実 2砂糖類 3はちみつ 4食酢(醸造酢に限る。) 5食塩 6香辛料 7調味料 8酒類 9でん粉

 規格においてはウスターソース、中濃ソース、濃厚(とんかつソースなど)は粘度による「濃度」の違いでしかありません。現実にはそれ以外に濃度と共に甘味やうま味成分などが多くなると認識されているでしょう。

 私見ですが現在のウスターソース類の規格としては幾らか時代遅れで、実際には多様な副材料の添加が行われ、多彩な利用が可能な多種類のウスターソース類が作られています。
 個人的には「うま味や風味のある液体に塩分、甘み、酸味とスパイスの風味をきかせた茶色か黒い調味料」です。粉末ソースもありますよね。
 合わせ調味料として和洋、一部は中華やその他の食文化の味をも取り入れた融通無碍な複合ソースとして独自の進化を遂げています。
 ステーキソースなどのウスター類から派生した複合調味料も有り、照り焼きのたれや甘酢との境目は曖昧になってきているのかもしれません。海外でもその地域で用いられる複合ソース類は有ります。

 味の構成としては野菜か果実のエキスを含んだ溶液や醤油を含めたアミノ酸液等に、ナツメグ、シナモン、クローブ、胡椒等のスパイス、生姜、玉葱、セロリなどの香味野菜に5%から25%程度の酢、砂糖などの甘味、塩分、そのほかの香味風味成分やカラメルなどを加えて加熱してつくられた物といえます。
 塩分、甘み、酸味、うま味、香味、風味を含んだ味わいで構成されます。
 濃厚で刺激があるのが特徴といえるでしょう。ポン酢と同じく三杯酢の延長線上の調味料かバリエーションと考える事も出来ます。
   
 もし飲食店などをされる場合にはどんなオリジナルソースが考えられるのでしょう。
 勿論、一から自家製でオリジナルソースを作ることは可能で研究すれば素晴らしい自家製ウスターソース類を作ることも出来ます。それは大変好ましいことです。
 しかし現実的には市販のソースを素材としてそこから独自のオリジナルソースに作り変える方が手軽ではあるでしょう。その方が割安になることも有ります。
    
 一つの考えとしては市販のソースの中から美味しい物、コンセプトに合うものを見つけ出し用いるという手が有ります。
 専門メーカーが工夫をして創り出したものなのですから高い品質でバランスが良く優れた商品が多くあります。一般には出回らない業務用ソースも有ります。
 ただ高品質なソースはそれなりに高額だったり手に入れにくい物も有り、メニューのコンセプトに合うとは限りません。手に入る手ごろな値段のソースを少し変えることでより目的に合うソースを作ることも可能です。
 よそでは味わえないオリジナルソースを持つ事がお客に訴求効果を持つとも考えられます。
    
 幾らか検討してみましょう。
        
 上で書いたような複数のソースをブレンドしたりケチャップや醤油、水あめや蜂蜜等の調味料を足すことも多くの店でされています。
   
 ワインなどにあわせるタイプの店で洋食系の料理に掛けるなら煮詰めた赤ワインでコクや風味を足すとよいでしょう。赤ワインはチリやオーストラリアなどの濃い味の物を用いると合うと思います。その際にベーコンの赤身の部分やマッシュルームを刻んで入れて煮込みうま味成分を出す「だしのもと」として用いたり、フォンドヴォ―やブイヨンを加えたり、粒黒胡椒を入れて煮詰めても良いでしょう。黒ビールでも面白いかもしれません。日本酒や紹興酒辺りも味をまろやかにするでしょう。
    
 米のご飯とも合わす洋食系の肉のカツレツの類には甘みを足したソースも合います。砂糖や水あめではなく蜂蜜やジャム、ママレードを入れる方法が簡単です。風味の強い黒砂糖などの粗糖だと少量で甘さを強く感じるのでクセが合う場合は有効です。
 果実ではイチゴやベリー類のジャムは難しいかもしれませんがリンゴやアプリコット、マンゴー、パパイヤ辺りだと合わせやすいでしょう。オレンジや柑橘系は特に華やかな風味が出ます。固形物が口にあたるかもしれないので物によっては濾した方が良いかもしれません。
 地ソースにはイチジクを入れた美味しいソースがあるのでイチジクも良いでしょう。

 市販のジャムだと甘みが強すぎると感じたり割高になったりすることも有りますので自分でフルーツもペーストやエキスを作り加えるのも良いでしょう。
 旬の時期に仕込んで置き、冷凍するなどして年中使う事が出来ます。イチジクやプルーンなどではドライフルーツを用いる事も可能です。デーツ(ナツメヤシの干物)もよく使われます。
 地域の産物の柿や柚子、ミカンやリンゴや梨を用い地元らしい味わいを演出する事が出来ます。他にはパイナップルも手ごろで合うでしょう。
 直ぐに使う場合を除いてすり潰すかミキサーにかけ加熱しておくのが基本です。素材を漬け込み味や香りを移してから濾すなどして取り除く方法も有ります。
   
 甘みのあるソースとしては「味噌カツソース」のような物も有ります。豚肉や鶏肉のフライに合うと思います。 
 これには二つのタイプの物があり一つはウスターソース類に味噌と甘みなどを足したもの、もう一つは味噌に甘みと酸味を足しスパイスなどもいれ酒や出汁で濃度を調整し、ソース風に仕立てたみそだれの様なものです。みそだれに隠し味的にウスターソース類を入れることも有るので境界線は曖昧ですが米のご飯にも合うものが出来ます。赤みそ等の塩辛いものは必ず砂糖や煮切り味醂など甘みを加えます。
 例えばウスターソース類に5%程度の石野味噌の白みそと原了郭の黒七味を加えた「京風ソース」といったものが考えられるでしょう。
 中国の甜麺醤、韓国のコチュジャン辺りも有ります。
 味噌系のソースだと練胡麻胡麻油を加えても良く合います。他のナッツ系の物もありでしょう、胡麻味噌ソースだけではなくピーナッツバター味噌ソースも美味しそうです。
 和風の香辛料、香味料の山椒や柚子、陳皮を入れても良く中華の八角や中国山椒・花椒、ときに五香粉やXO醤のような複合調味料を入れてエキゾチックに仕上げても面白いでしょう。地方色のあるかんずりや柚子胡椒なども使えます。
      
 コンセプトによっては酒粕や納豆などを用いた「変わりソース」も考えられます。
    
 ウスターソース類はスパイスやハーブを用いるのも特徴です。ナツメグ、シナモン、クローブフェンネルオールスパイス、クミン、カルダモン、胡椒、唐辛子、タイム、ローリエ、ニンニク、山椒、ニンニク、生姜等です。これにターメリックを入れるとカレーになります。好みのスパイスを加えて香味を強化しても良いでしょう。少量だとカレーパウダーを入れても良いでしょうし同じくブレンドされたガラムマサラ(メーカーによって味は異なる)を入れるのも簡単です、ブレンドのシーズニングスパイスやタバスコやチリなどのスパイスソースを利用する手も有りでしょう。
 スパイスは品質で香りも味も異なるので良い物だとグレードが上がります。加熱によっても香りが変わります。
 
 同じく香り成分としては柑橘類の皮の砂糖漬けのピールが有ります。レモンピールやオレンジピール、柚子ピールのほか多くの柑橘の皮の精油成分を用いるものが有ります。市販品も有りますが自作も出来るでしょう。
 お苦手な方もいるでしょうが人工の香料、エッセンス、フレーバーやオイルを利用する手も有ります。レモン、オレンジなどの柑橘系だけではなく、パイナップル、アプリコット、リンゴ、梅、アーモンドやチョコレート、乳製品まで多くの香料が製造販売されています。ほんの少し加えるだけで複雑な香味が作れます。
 健康に良いとは言えないそうですが燻製の香り、スモークフレーバーも有効でしょう。玉葱やニンニクなどの素材をきつめにローストして加えロースト香をつけることも出来ます。
 
 味覚においては香りの役割は大変重要です。
  
 うま味・風味成分の追加の仕方も有ります。
 普通のウスターやとんかつ、中濃にも昆布やカツオなどの出汁・魚介エキス、チキンポークビーフなどの肉エキス・スープ、魚醤やアンチョビやオイスターソース・エキスなどのうま味・風味成分が含まれている物も有りますが、タコ焼きやお好み焼き、特に焼きそば用のソースには複雑なうまみ・風味があるソースが有効です。
 例えば(塩分の調整は必要ですが)イカやアミの塩辛や蝦醤の様な魚介の発酵素材を用いたり業務用などで市販されている牡蠣エキスやイカ墨(要加熱)なども利用出来るでしょう。塩麹などの麹のエキスやマーマイやべジマイトあたりも面白いかもしれません。
 干し椎茸の出汁も良く会います、他に乾物だと干し貝柱や干し海老、煮干、鯖・鯵・飛魚なども。
 昆布茶や場合によってはうま味調味料やスープの素やだしの素・出汁醤油を添加する手もありです。
  
 酸味も米酢、穀物酢から黒酢なども有り、ワインビネガーやバルサミコ、リンゴ酢や柿酢なども利用できます。梅酒の漬け梅や塩気のある素材ですが梅干しや梅酢を上手く隠し味で使う考えも有ります。レモン、柚子、スダチ、グレープフルーツ、シークヮーサーなどの柑橘系の果汁も利用できます。
 酸味にも酢酸だけでなくクエン酸、リンゴ酸、酒石酸、うま味成分でもあるコハク酸、場合によっては乳酸なども有ります。ヨーグルトや乳清も上手く使えば面白いかもしれません。
 ウスターソース類で使われるものとしては南方の果実タマリンドが有ります。果実やペーストや粉末で酸味をつけたりとろみをつける成分としても用いられます。
    
 食感・とろみを与える素材も野菜などの素材の細かな固形物からコーンスターチなどの穀物成分、海藻や果実などから取られた増粘多糖類などが有ります。水あめやゼラチンもその意味もあるでしょう。 
 ときどき見かけるキサンタンガムというのはでんぷんを菌で発酵させて作る食材で普通に使う限りヒトには何の問題も無い「発酵食品」です。グアーガムは食用豆の成分です。
 粘度によりテクスチャーや調味料の絡みつきによる味ののり方に影響を与えます。
   
 色については加熱した食品の成分から時間をかけ発色するメイラード効果の利用の他、砂糖を焦がしたカラメルで色付けすることも有ります。
 自作でカラメルを作る以外に市販のカラメルも有り、簡単に深い色合いを出す事が出来ます。濃口醤油だけではなくタマリ醤油や再仕込み醤油も使えるでしょう。
 市販のイカ墨ペーストを加熱していれたり黒ごまペースト(練胡麻)でも色が付きます。
    
 これらの素材を別にブレンドして作り置きして、隠し味用の「秘伝タレ」にしてソースとブレンドし、オリジナルソースを作れます。
 目的にあわせ味覚を設計し、自分の味を創り出す事もできるでしょう。
 味覚理論は科学に近い側面もあります。勉強し、工夫する余地があります。
         
 実際、味付け・調味には基本的なパターンが有り、塩分と甘み、風味や酸味やうま味など、素材にあわせたいわば「方程式」的な部分が有ります。味付けや素材について理解すれば「こんな味にしたい」とのイメージから味を計算するのはある程度可能です。マンガなどにある「一度食べた味を再現できる」というのはある程度は事実です。
 ご自分のイメージや理想から品質の良い素材をシンプル組み合わせて味を創るか、多くの味を積み重ねて複雑な味を創るか、食材の持ち味を生かすようにするか、ソースの味で食べさせるか、メリハリを出すか、バランスを重視するか、コストパフォーマンスを目指すか、個性を出すか出さないかいろいろ考えて試してください。
 複数のソースを料理にあわせて使うのも面白いかもしれません。
     
 ここで一つ「ネットでおそらく一番簡単で安い」自家製ウスターソースのレシピ案を書いておきます。
 これをベースにしてもオリジナルソースが出来る筈です、上の内容を参考にお好みに改造してください。

仕上がり約1リットルで
1) トマト野菜ミックスジュース(無塩)900cc、りんご200g、玉葱200g、生姜30g、固形物はすりおろすか、粗く刻みジュースと共にミキサーにかけどろどろにする。
2)昆布5g、頭と内臓を取った煮干20g(これらのかわりにほんだし15g又はコンソメの素10g程度を加え、それが無塩でない場合は塩を5g減らす)と鍋に入れ、中火位で7割量(−30%)まで煮詰める。(アクを取り、焦がさない様に)
3) ガラムマサラ10〜20gをいれ10分ほど弱火で煮る、濃口醤油120cc、塩60g、砂糖60g(お好みでうま味調味料5gも)を入れ沸いたところで火を止める。
4)冷ましてから1日程度置き、ガーゼかさらしなどで濾し搾る(ザルなどで濾すと中濃風)、酢100ccを加える。長期保存する場合は瓶に入れてから70度の湯で30分湯煎に掛ける。
 冷蔵庫で10日ぐらい寝かせると味が馴染んでくる。

 搾りかすの煮干と昆布はそのままで惣菜にもでき、その他の成分はカレーの隠し味に使えます。
 野菜ジュースが150円から250円、リンゴ玉葱はどちらも約小1個分になるので生姜も併せて200円程度から、出汁が50円から、醤油塩砂糖酢は合わせて100円くらいから、ガラムマサラも安いものなら100円くらいからですが銘柄によってブレンドも違い味を見てお好みで唐辛子や胡椒を足しても良いでしょう*1。全部で600円から1000円程度で作れます。材料により味が変わるので出来上がりをみてからでもお好みに調整してください。 
 ネットや本等で調べると他にも自家製ソースのレシピは多く有ります(より完成度は高いが高コストの物が多い)。
   
【追記】ついでに朝岡のウスターソース用スパイスセット http://www.asaokaspice.co.jp/spice/library/520867.html も書いときます。
   
【関連』
>世界のウスターソース
http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20160614/1465887807

*1:【追記】香りが弱い場合はオールスパイスを足すのもあり。

読書メモ抜粋その2

 「はてなブックマーク」に書いている「100字読書メモ」の一部、現在200冊強の簡易紹介です。
 飲食、酒造、歴史、刃物、銃刀、軍事等。
 最新>http://b.hatena.ne.jp/settu-jp/?url=http://www.amazon.co.jp/

膨大な資料を基にナチスとBD農法等との関りを描きだす。タイトルは少し大袈裟で有機農業の関係はそれ程深くない。寧ろ俗流ダーウィニズムと生態系論、民族・浪漫主義の受け皿としての「科学主義的呪術思考」の問題か 2011/10/22

お米と食の近代史 (歴史文化ライブラリー)

お米と食の近代史 (歴史文化ライブラリー)

明治維新から戦前の統制経済前夜までの米と「主食」の近代史。生産から流通・販売や政府・国民の意識までが示される。米の輸入や輸出まで植民地経営や国際経済についても面白い。資料価値が高い本。2011/10/28

中華料理の文化史 (ちくま新書)

中華料理の文化史 (ちくま新書)

本国の中華料理の変遷を文献資料から描き出す。主食の変化、肉の嗜好の交代、調理法素材味付けの時代ごとの変化はとても興味深い、炒め物箸鱶鰭等。幾らか古いのと用語に疑問があるが改定完全版を期待したい良書 2011/10/30
(文庫化されたhttp://www.amazon.co.jp/dp/4480430695)

エトルリア人―ローマの先住民族起源・文明・言語 (文庫クセジュ)

エトルリア人―ローマの先住民族起源・文明・言語 (文庫クセジュ)

現時点でのエトルスキ(エトルリア人)研究の成果。古代ローマに先立ち北イタリアで栄えローマに影響を与えローマに飲み込まれた謎の民。発掘資料や文献から実態に迫る。先史時代から滅亡まで。よく纏まった良書 2011/12/08

ローマ帝国一五〇〇年史 (ビジュアル選書)

ローマ帝国一五〇〇年史 (ビジュアル選書)

ローマ帝国の政治史をその「事件」を描いた絵画(後世の物が多い)と共に紹介する。駆け足で各項目の記述は少ない物の現代の学問的な歴史から見たまともな記事が多く例の「物語」より上等。大ポンペイウスも詳述 2011/12/11

ヌードルの文化史

ヌードルの文化史

スイス人ライターが書いた麺類の薀蓄本。世界の麺類の歴史について農業から文化まで語る。情報はあるが視点がヨーロッパに偏っている点と感傷的尚且つオリエンタリズム的な文章が気になる/紀行文に近い 2012/02/25

パスタの歴史

パスタの歴史

主にイタリアの「パスタ」を中心とした麺類史。地中海世界小麦文化のパンに次ぐ大きな流れとし農業技術文化の歴史を詳述。一応東亜の麺にもふれられるが物足りないかも。「麺の文化史」等と読み合わせるべき/悪文 2012/02/25

大阪食文化大全

大阪食文化大全

近世近代の大阪の食文化史の概観を描く。料亭・割烹の流れや市場・流通史、名産品・地域野菜等の広い範囲についての面白い研究成果。根拠の示されたのも多いが幾らかまだ「証言・推測」レベルの物も有る 2012/03/02

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 (講談社選書メチエ 305)

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 (講談社選書メチエ 305)

カンボジアと長くかかわる記者の書いた「怖い本」。場当たり的な指導層と米国越南中国が争い駆け引きを行う国際情勢の間でナイーブで無責任で「幼い」活動家に政権が転がり込む。混沌と死に飲み込まれる社会 2012/05/24

品種改良の世界史・作物編

品種改良の世界史・作物編

稲や麦、玉蜀黍やじゃが芋甘藷からソルガム、大豆や野菜類、林檎葡萄からバラにいたるまで多くの農作物の品種改良の歴史を書いた大著。驚くべき工夫の歴史。夫々の書き手が異なる為書き様も様々でおかしな記述もある 2012/06/08

金・銀・銅の日本史 (岩波新書)

金・銀・銅の日本史 (岩波新書)

材料工学の研究者で考古学史料・伝世品の金属研究の第一人者による新しい貴金属史。金属組成冶金鉱業製法技術の根拠の裏付けから明らかにされる驚くべき技巧。幾らか説明不足に感じるが新書だから仕方ないか。良い本 2012/06/24

武器の歴史 大図鑑

武器の歴史 大図鑑

英王立武器博物館の膨大なコレクションから古今東西の手持ち武器の歴史を描き出す。貴重な写真が多く素晴らしい。近代初期の幻の銃器の数々。惜しまれるのは解説が少ない、幾つか変な訳、欧米中心史観。2012/06/27

新・とんかつの誕生 

日本洋食の歴史を描いた著作に「とんかつの誕生―明治洋食事始め (講談社選書メチエ) 岡田哲 2000/3」が有ります。

とんかつの誕生―明治洋食事始め (講談社選書メチエ)

とんかつの誕生―明治洋食事始め (講談社選書メチエ)

 現在では「明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)http://www.amazon.co.jp/dp/4062921235」のタイトルで文庫化されています。
   
 ネットや薀蓄本、テレビ番組でもこの本の記載を基に「とんかつの歴史」を紹介される事も多くいわば「通説」といえるものでしょうか。
 その「通説」をまとめるとこちらのようになります。

●明治5年仮名垣魯文訳の「西洋料理通」の「ホールクコツトレツ」はフライ物では無く、豚あばら肉のソテーだった。
●シャロー・ファット・フライング(それほど多くない油で片面ずつ炒め焼き又は揚げる)のビーフカツレツ、ヴィールカツレツ(仔牛)、チキンカツレツは有ったが明治前期の日本では肉や乳製品を使う西洋料理は受け容れられなかった。
明治28年創業の東京銀座「煉瓦亭」が明治32年に薄くたたいた豚肉に小麦粉・卵、パン粉をつけ、ディープ・ファット・フライング(多くの油で泳がせ揚げ)するたとんかつの前身「ポークカツレツ」を初めて売り出し、日露戦争で人手不足になった明治37年に同店で温野菜ではなく独自に考案した調理法・生キャベツの千切りを添えるようになった。その頃ウスターソースと組み合わさった。(「とんかつの誕生」では「煉瓦亭」が明治28年に創業しその年に「ポークカツレツ」を売り出し、生千切りキャベツも添えたと書いている)
 「煉瓦亭」元祖説です。
大正7年にカツカレー、大正10年にかつ丼が誕生した(大正2年ソースかつ丼誕生説もある)。
昭和4年東京上野御徒町「ぽんち軒」(ポンチ軒)で厚みのある肉の「とんかつ」を作り出した(他にも同時期に「王ろじ」「楽天」等の「とんかつ」命名説もある)。
昭和7年「とんかつ」が大ブームになり肉食解禁から約60年、日本に肉食が定着した。

 基本的に「とんかつの誕生」の通説を引き継いだ記事は「食の源流探訪 揚げ物ではなかった「とんかつ」誕生秘話  澁川祐子 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/10686」「とんかつの歴史を考える http://www2a.biglobe.ne.jp/~hmikami/tonkatu/history.htm」「うどめし トンカツの歴史 http://packethop.com/%e3%83%88%e3%83%b3%e3%82%ab%e3%83%84%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2」「日清オイリオ 神奈川県(横浜市) キャベツ/発見!ご当地「油」紀行 http://www.nisshin-oillio.com/report/kikou/vol8.shtml」等もあります。
  
 この本からhietaroさんが記事「とんかつを巡る2つほどの疑問 http://hietaro.kameo.jp/2015/07/post-976/」で幾つかの疑問をあげられ、そちらにコメントを入れました。そこでのやり取りからの続きです。
        
 この本は2000年初頭に出されたもので当時としては意義が有ったといえるでしょうが、新たな知見も有り、情報そのものを修正すべき点もあるといえます。
 そのうえ「料理本のソムリエ 内視鏡検査の〆はトンカツで」http://www.shibatashoten.co.jp/dayori/2011/10/13_1141.htmlによると

トンカツの誕生に関する論考は富田仁氏の『舶来事物起源事典』にゲタを預けております。

 『舶来事物起原事典』は小菅洋子氏〈ママ、小菅桂子氏が正しい。摂津国人付記〉の『にっぽん洋食物語』を参考にしており、トンカツの起源の項目はこの本が典拠であることがわかります。そんでもって『にっぽん洋食物語』はというと1970年刊の『事物起源辞典』(まぎらわしいですね)を参考にしており、ここにはかつ丼とポンチ軒の話はでてくるのですが、煉瓦亭は登場しておりません。

とあり、より古い情報に基づくもののようです。
       
 この記事では上記「料理本のソムリエ」でも続きの記事「「西洋料理通」を読む http://www.shibatashoten.co.jp/dayori/2011/10/26_1053.html」「キャベツとソースはなぜデフォなの? http://www.shibatashoten.co.jp/dayori/2011/11/10_1100.html」やhietaroさんの記事にもあった「とんかつのつけ合わせにキャベツの千切りがついたのはいつからか」「とんかつができた当初から、ソースはどう変遷したか」と「”とんかつ”名称の 初出」「明治洋食露店屋台」の情報の補足、そして「とんかつ誕生の再検討」をしてみましょう。
   
 「とんかつの誕生」では日本での「カツレツ」の初出を「西洋料理通 明治5年」の「第六十一等 ホールクコツトレツ」という現在の所謂「カツレツ」と異なったものとしますが「料理本のソムリエ 西洋料理通を読む」では同じ本にある「第五十二等 コツトンツ、コールドモツトン」がより「カツレツ」に近いものとします(「コツトンツ」を「コツトレツ」の誤字では無いかとみているようです)。
    
 それらを踏まえ書いたhietaroさんの記事へのコメントです。

 カタカナ表記ですが「トンカツ」用例の初出は此方、永井荷風の「銀座 明治四十四年七月http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49640_38957.html」の「ここにおいて、或る人は、帝国ホテルの西洋料理よりもむしろ露店の立ち喰いにトンカツのおくび(「口+愛」)をかぎたいといった。露店で食う豚の肉の油揚げは、既に西洋趣味を脱却して、しかも従来の天麩羅と抵触する事なく、更に別種の新しきものになり得ているからだ。カステラや鴨南蛮かもなんばんが長崎を経て内地に進み入り、遂に渾然たる日本的のものになったと同一の実例であろう。」があり、あと高村光太郎の詩「夏の夜の食欲 大正元年」に「癌腫の膿汁をかけたトンカツのにほひ」とあります。
 明治末にはてんぷらと比較される豚の肉の油揚げが既にトンカツと呼ばれていたと考えてよいでしょう。一応岡本かの子の文はそのままで読めます。
明治36年村井弦斎「食道楽」の「第四十二 カツレツ」等では鶏や仔牛ですがパン粉をつけて揚げる物を「カツレツ」としています。付け合わせは温野菜で生千切りキャベツは見当たりません。コロッケの類は多くあります。
    
 その露店については「夜食の文化誌 青弓社」のP82に「文藝界 夜の東京 臨時増刊号(明治35年)」の露店の一つの業態として「西洋料理店」があり、その記事の内容が注としてP105に「是は近頃露店の仲間入りをしたハイカラ露店である」「フライも出来れば、ビフステキも出来る、ヲムレツも出来る、シチウも出来ればライスカレーも出来る、お負けにソースまで添えてあろうといふのであるから兎に角整ったものと謂わなければならぬ」とあります。断言できませんが露店の簡便洋食ですからブラウンソースやデミグラスソース等以外に簡易な出来あいウスターソースの可能性もあり「掛けてある」ではなく「ソースまで添えてあ」るという表記もそれを意味しているようにも読めます。
     
 逆に初期の国産ウスターソースが洋食の焼き物と揚げ物に掛ける以外に何の利用法があったのだろうか、ともいえます。
 明治30年代にはウスターソースが簡便洋食を通じて広まりそれとともに日本大衆「洋食」が成立したという仮説も考えられます。「東京ソース、ウスターソースの歴史http://www.tokyo-sauce.com/this2.html」。早い段階からウスターとその他のソースが並行して用いられていたのかもしれません。
         
 そして一銭洋食や洋食焼きのどこが「洋食」なのかといえば「ウスターソース」を使うという点だといえるのも傍証だと考えます。昭和初期の阪急百貨店のソーライスもその流れでしょうか、その頃には既に洋食の味としてある程度一般化していたのでしょう。明治後期以降のソースメーカーの隆盛はそれを背景にしたものだと考えます。
 露店や屋台の簡便洋食と日本のウスターソースとの関連は興味深いでしょう。関西と関東にも違いが有るのかもしれません。
     
 ご存知の事も多いでしょうがついでにいろいろ。(この節、括弧内は摂津国人による)
 「日本の食文化史年表 江原絢子 東四柳祥子 吉川弘文館」によると明治18年ヤマサ醤油が日本初のミカドソースを発売するが売れず翌年中止、明治22年に茨城の醤油業者関口八兵衛がハトソヲ―ス(ママ、検索では鳩ソースで見つかる)を発売、明治25年に神戸で阪神ソース(ママ、18年説が有ります)が発売、27年に大阪の越後屋の三ツ矢ソース、29年に同じく大阪・阿波座の山城屋が錨印ソース、30年に東京伊藤胡蝶園が矢車ソース、31年に醤油業者大会でソース作りが話し合われ各地で生産が始まる。同年に大阪の野村屋が白玉ソース(野村食品製造所との表記もある)、33年に神戸日の出ソース、36年にカゴメがトマトソース(ピューレ)を作りはじめ39年に本格生産41年にトマトケチャップとソースを発売、38年ブルドックソース(犬印)。(記録のないソースメーカーも有るのかもしれない)
 大正11年頃には「ライスカレー、コロッケ、トンカツ」が大正三大洋食と呼ばれ、在東京歩兵連隊で「フライ、カツレツ、コロッケ、焼肉焼肴、オムレツ、口取の順で人気をえる」とあり大正14年に中島薫商店(キユーピー)でマヨネーズが発売、同年大阪衛生試験所でハクサイ、ホウレンソウ、ネギ、ミツバに回虫卵が多いと判明、昭和29年にカゴメトンカツソース発売とあります。
     
 あと洋食では「明治西洋料理起源 前坊洋 岩波書店」によると陸軍明治19年7月の献立に「カツレツ」が有り(P52)、明治18〜19年の「時事新報」の「松の家」の献立に「チキンカツレツ」と「ビールカツレツ(ママ)」(P90〜95)がありますがこれらの調理法が揚げ物かはわかりません。ただ「魚フライ」も有るので洋風揚げ物自体はこの時点で有ったと考えられます。
 「料理本のソムリエ」にもありましたが「ポークカトレット」は調理法はわかりませんが同書P97の明治23年5月4日の観光ガイド「時事新報 東京案内」が今のところ初出です。豚のカツレツは少なくともそれ以前から有ったという事でしょうか。煉瓦亭より早いですがどうでしょう。
            
 「料理本のソムリエhttp://www.shibatashoten.co.jp/dayori/2013/12/06_1345.html」に「木村毅の昭和14(1939)年刊行の随筆集『南京豆の袋』に収録された「トマトが初めて村へ来た頃」」の内容として「明治四十三年に上京したが、あの頃は洋食をたべに行つても、カツレツやビフテキにつくのが、キャベツの刻んだのだつた。」とあります。勿論30年前の記憶が正しいかはわかりませんが。
 キャベツの千切りの一般化も明治にまで遡れるかもしれません。池波正太郎が生まれる前から生キャベツの千切りが普通だったのでしょう。

永井荷風の「銀座」と高村光太郎の詩についてはWikipediaに書かれていたものです。

 その後見つけた情報です。
  
 洋食露店屋台については「明治大阪物売図彙 (上方文庫)和泉書院1998 菊池真一」P21に大阪朝日新聞明治32年10月7日(三谷)貞広画として「辻洋食」という露店屋台が描かれ大阪でも東京とほぼ同時期、明治30年代前半には洋食露店屋台があった事が読み取れます。
 他にも「明治物売図聚 立風書房1991 三谷一馬」P137に明治36年「太平洋」よりとして「一品洋食売り」のイラストが描かれとんかつやソースについては触れられませんが営業内容も書かかれています。
 他の資料などからしても明治の日本は現在の東南アジアなどと同じく、多くの露店屋台が庶民の需要を満たす状況が有ったというのは間違いありません。現代の様な整然とした商店の在り方は比較的新しい文化です。
 ガスや電気を用いた調理器具や冷蔵庫や便利なインスタント食品のあまりない時代、家での調理より露店屋台食の役割は今より大きかったといえるでしょう。
   
 国立国会図書館デジタルコレクションによると
「軽便西洋料理法指南 : 実地応用 一名・西洋料理早学び 著者マダーム・ブラン 述[他] 出版者久野木信善出版 明21.11」のP8にhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849016/11?viewMode=「豕肉(ぶた)カツレツ」としてロース肉をたたいて伸ばし、メリケン粉・卵黄・パン粉をつけて当時のビーフカツレツと同じくシャローフライすると書かれています。
 「煉瓦亭」や「時事新報 東京案内」より古く、現在のところ「豚肉カツレツ」の初出です。

 「トンカツ」の初出、永井荷風の「銀座」こと「銀座界隈」「紅茶の後 永井荷風 籾山書店 明44.11 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/889041/95?viewMode=」も。
    
「舶来穀菜要覧 竹中卓郎 編 大日本農会三田育種場 明18.2」のP42の「甘藍」に http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/839606/28?viewMode=「外部の硬葉を去り中心の葉球を細かに刻み熟醋、鹽及び胡椒を加えて用い叉醋を澆ぎ胡椒を振り掛けて生食すべし」とか書かれ、その次に別にザワークラウトが書かれているので、今のところこれが生キャベツの千切りの初出です。
 「煉瓦亭」以前にも生キャベツの千切りが有ったとみてよいでしょう。
   
 「とんかつの誕生」にあるパン粉衣のディープフライの初出とされる「西洋料理二百種 松田秋浦 (政一郎) 青木嵩山堂 明37.11、http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849075/56?viewMode=」ここでは明らかにディープフライとシャローフライの両方が存在していることを示し、ディープフライを天ぷらにたとえます。
 「家庭和洋料理法 奥村繁次郎 大学館 明38.10 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849006/48?viewMode=」の「フライの揚げ方」もディープフライ。

 ですが魚であれば「割烹受業日誌. 第2輯 高知県尋常中学校女子部 田所富世等 明25,26 はらかた(鰯の仲間ママカリ)ふらひ(フライ)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811754/12?viewMode=」が小麦粉卵ふらひ粉(パン粉か)をつけたディープフライに読める書き方も。
 「簡易料理 民友社 明28.3」の「フライとカツレツ」でも「日本料理に於ける天麩羅なり」とし http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849010/48?viewMode= メリケン粉卵黄パン粉をつけ「豚脂又は牛脂の鍋中にて脂揚げとなす」としているのでこれもディープフライにも読めます。
   
 「西洋料理法と献立 赤坂女子講習会 編 相隣社 明41.6 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849087/51?viewMode=」に「一四九 ウィスター、ソース(簡便)」とあり、そこで酢と醤油で作る自家製簡便ウスターソースの製法とともに「此ソースはホンの間に合わせのもので、矢張り罎詰を求めた方が結構です。」と書かれ、すでにある程度ウスターソースが普及し、このころにはデミグラスソースやトマトソースと比べて「出来合いの手抜き」と見ず、洋食に必要な独自の「たれ」としているように読めます。
 ウスターソースが当時の料理書であまり見られない理由としては、基本的に家庭に常備されない、外食で食べる洋食用だと考えられていたのかもしれません。

 「東京苦学成功案内 酒巻源太郎 帝国少年会 明42.9」の「屋臺の夜商賣 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813506/20?viewMode=」にも屋台の「一品洋食屋」が有ります。
       
 他にも神戸大学附属図書館 新聞記事文庫 「時事新報 1925.6.5(大正14) 雨に祟られて失敗に終る http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentView.jsp?METAID=00104782&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1」の東京・日本橋の交通調査の記事で「ズラリと並んだ屋台店約四十、トンカツ五銭××軒」とあり、トンカツ屋台が複数存在した事がわかります。
 「神戸又新日報 1930.11.19(昭和5)」の「洋食一皿六銭也正に大衆向の食堂 一九三一年のトップを切って生れ出るチェーン・ストアー食堂 自動車に積んで御馳走を運ぶ http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentView.jsp?METAID=10056449&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1」という記事ではセンターキッチン方式の「ファミリ―レストラン」の嚆矢といえる神戸の「百一番食堂」で「テキやカツを出」すと書かれています。

 これらの他に資料が有った場合にはこの記事に追記として書き込む予定です。

【追記】「浅草底流記 添田唖蝉坊 近代生活社 1930.10 お座敷天ぷらは屋臺の眞似だ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1916565/78?viewMode=」に「傳法院横、玉木座前のフライ屋。ジューッ/\(繰り返し符号)と油の音をさせて串フライを揚げてゐる。今はすっかり減って、古着屋、古靴屋、古本屋などの間に挟まって二三軒しか残ってゐないけれども一頃はあの消防の處からバウリスタの前角まで悉く此の串フライ屋で、其処を通るとずっと並んでジュージューと競争している圖は實に異観だった。」「肉の小片を葱と交互に挿した、串の揚げたての奴をソースにひたしてかぶりつく。」とあり、この文は昭和5年ですが、昭和4年創業の大阪「串カツだるま」以前の浅草に現在の串カツとあまり変わらない「串フライ」があったと考えられます。
   
 「トンカツ」名称は明治末にあったといって良いでしょうが料理書では見つかりません。おそらくスラングとされていて正式名称とは扱われず、公的な場所では使われないという理由でしょう。
   
 話は少し変わりますが、こういった食に関する情報には大きく分けると二つのタイプがあると考えます。
 「薀蓄型」と「研究型」です。
 
 「薀蓄型」はどなたかが発した情報をそれ程細かく吟味せずに再発信し、読み手を楽しませるもので、「研究型」は懐疑的に検証しある程度確認したものを再発信するという立場でしょう。
 多くの「薀蓄型」はいわゆる「ライター」と呼ばれる人などが単数又は複数の資料を基本的に正しいとして、そこから情報を抽出し書かれることになります。「研究型」は何らかの情報を一つ一つ裏どりし、自分でも最初から資料を調べるというスタンスを取ります。
 もちろんこれは明快に分かれるものでは無く、「薀蓄型」でも根拠に基づき独自の新情報を補足したり、丁寧な検証が行われることも有ります。「研究型」でも安易な情報の扱いがある場合も有ります。
    
 食べもの関係の情報も、ただどこかから引いただけのものもちゃんと調べてあるものも有り、いわば「玉石混淆」といえます。たとえばマンガでも「あの本のままだなあ」と感じることも有ります。
 食についての「薀蓄話」は娯楽的な雑談や読み物とされる事が多く、一般的にそれ程内容を吟味せず、「感覚的」に語られるのが普通でしょう。
     
 「とんかつの誕生」の著者岡田哲氏は元々技術者で、専門の小麦等の技術的な知見や分析では充分な検証をされますが、食物史や食文化論については「薀蓄型」であまり検証せず、情報を並べる「思想(他の本で意図的だと書いていた)」があります。「料理本のソムリエ 」にありますがこの本でも富田仁氏の「舶来事物起源事典 1987」を基にあまり検証した様子もなく書かれています。
 この本も優れた知見と安易な引き写しや憶測の混在する発売当時はともかく現在では評価の難しい本です。
      
 それともう一つ、飲食店の「証言」の問題も有ります。
 飲食店の歴史や伝統といったものの証言は残念ながらあまり正確でない場合が少なくありません。
 古い話だと記憶違い、勘違い、思い違い、思い込みが基本的に有り、特に口頭で伝える場合は正確に伝わらないことも多く、それに大前提としてサービス業なので相手の反応で「話を盛る」という事もしがちです。普通、都合の良い誤解を修正することもありません。
    
 多くの料理やレシピ等で「元祖」や「発明者」が複数いて、何が正しいのかわからないことも少なくは有りません。解釈によってもいろいろ異なります。
 本人でさえあやふやなのですから後代の人の口承や同時代ではない記録は基本的に懐疑的に扱うべきものです。
 その上、インタビュアーやライターの人が話を膨らませることも有り、孫引き情報は注意すべきです。先行記事で「推測」や「仮説」だと断って書かれた見解が、後の文章では「事実」として書かれる事も見かけます。
        
 「煉瓦亭」も記事によってはとんかつの誕生についての役割が異なることも有り、典拠も示されず、書き手の推測で話が膨らんでいるように見えるものもあります。元ネタは創業70数年後に書かれた資料にあるとされます。
 おそらく「煉瓦亭」は日本洋食のとんかつの成立に関係し、普及に大きな役割が有ったといえます、揚げ方の工夫をしたのか生キャベツの千切りとの組み合わせを完成させたのかもしれません。(もちろん、「ポークカツレツ」や生キャベツの千切りを誰か他人から教わったわけではなく別箇に独自開発した可能性は否定出来ません)

 嘘だという事ではなくこういった情報の混乱は普通に有るものです。歴史学を学んだ方には常識でしょう。
 「オーラルヒストリー」をそのまま信じてしまうというのは本来は学問的には正しいとは言いにくいでしょう。
    
 これはラーメンの浅草「来々軒(明治43年創業)」も同じで、横浜や東京で食べられていた既存の「支那そば」の普及に大きな役割を示したというのが確からしい事実なのにもかかわらず、大正期までのレシピについても根拠もないまま「ラーメンの創始者」だとか「ラーメンの原点」「東京ラーメンの元祖」だとか大袈裟な役割を与えられていくのと似ています。
    
 新発見かもしれませんが「浅草経済学 石角春之助 文人社 昭和8」「第二 浅草に於ける支那料理の変遷 (一)浅草に於ける支那料理の由来 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463949/150?viewMode=」によると浅草では明治41年頃、千束町「中華楼」という「支那ソバ屋としての組織」がありこれが「浅草での元祖 」だとしています。「これまでの支那料理店とは異なり、支那ソバ、ワンタン、シューマイを看板とするそば屋であったのだ」「シューマイ一銭、ワンタン六銭、支那ソバ六銭」とし業態も後の「来々軒」と同じで(来々軒は次のページに記載有り)、時系列について相当具体的に書いています。これが正しいとすれば「来々軒」を「ラーメンの元祖」「最初のラーメン店舗・専門店」とする通説は書き換えられるかもしれません*1 *2。(おそらく「中華楼」もラーメンの「元祖」ではないと思いますが)(大正7年に「来々軒」を元祖とする観光案内もある「三府及近郊名所名物案内 日本名所案内社 大正7 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906086/128?viewMode=」)
        
 「元祖」や「本家」の存在は消費者の求める「物語」であるという側面もあります。「神話」はこうして創られるのでしょう。
    
 ここまでで確認できた新しい「とんかつの誕生」を纏めてみましょう。
 
●江戸末期に長崎や横浜・江戸に出現した西洋料理が明治4、5年頃から20年頃にかけて全国に広まった。
●江戸末期横浜で始まったキャベツ生産が明治初頭には北海道開拓使を通じ北日本から広まり、基本的には煮物や漬物で利用されたが明治10年代末には生千切りキャベツは存在した。
●叩きのばした肉に小麦粉、卵、パン粉をまぶし少ない油で片面ずつ炒め揚げた「カツレツ」が明治10年代にはあり、明治20年前後には豚肉のカツレツも存在した。
ウスターソース明治18年には国産化されたが時期尚早で広まらず、明治20年代になって受容され、30年代には少なくとも東京や大阪の都市圏では一般化していた。ウスターソースは「洋食」の焼き物や揚げ物の「たれ」として広まった可能性がある。
明治10年代まではコース料理が多く高級料理であった西洋料理屋で20年代には大衆的な一品料理が増え、30年代には露店屋台でも食べられるようになり「洋食」化していった。(参考:明治西洋料理起源 前坊洋 岩波書店)
明治30年代後半には生千切りキャベツを添える「ポークカツレツ」が成立していた。この頃には多量の油で揚げるディープフライも一般化していた。
明治40年初頭には東京で「ポークカツレツ」が「トンカツ」と呼ばれ定着した。後に「カツカレー」や「かつ丼」「串カツ」にみられるカツレツの略称「カツ」やポークを「トン」とする用例はあった。同じ頃にはウスターソースがある程度受け容れられ、「洋食」の重要な構成要素の一つとされて「一銭洋食」や「洋食焼き」に繋がったと考えられる。同時期には「洋食」に生キャベツの千切りが付くのが珍しくはなかった。
 この時期には米のご飯とも合う、日本「洋食」が基本的に成立したともいえるかもしれない。
●大正時代には全国でトンカツ・コロッケ・ビーフステーキ・カレーライスなどの「洋食」が広まった。
●昭和初期には肉を叩きのばさない「とんかつ」が人気を博したらしい。
    
 私見ではありますが「とんかつソース」は昭和前期頃に個人または店舗で、ケチャップ+マヨネーズの「オーロラソース」と同じくウスターソース+トマトケチャップ等をブレンドしたとんかつ用「オリジナルソース」から開発されたものだと考えます。「中濃ソース」も同じくウスターソースに粘性と甘みを加え、「ご飯」に合いやすくしたものではないでしょうか。(hietaroさんによると「今普通に使われている粘度の高い「とんかつソース」は1948(昭和23)年、道満調味料研究所(現オリバーソース)が開発したもので、とんかつ誕生の時には存在しない」もので昭和29年にカゴメも「とんかつソース」を発売した)(【追記】オタフクソースが濃度のある「お好み焼きソース」を発売したのは昭和27年の事とされる)
【追記】「とんかつソース」の源流の一つかもしれない「トマトウースターソース」「農産加工 信濃教育会 信濃毎日新聞社 昭和11 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1094957/11?viewMode=」。
   
 「通説」と言える食の薀蓄でも確認せずに広めれば結果的に間違いを広める可能性もあります。
 こういったほぼ「実害」のない情報だけではなく、健康や風評などで何らかの「被害」をおこす可能性のある薀蓄もあるので、個人的には情報を広める際には気をつけたいと考えています。
 食については特に根拠を示さずとも「実感」に基づき誰でも容易に語りえる、という認識があるのかもしれません。
   
【関連】
>日本肉食史覚書
http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120614/1339605334
>戦前のお好み焼
http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20160314/1457940308  
>「ラーメンと愛国」速水健朗(ネタばれあり、辛口)読書感想文
http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120312/1331478334

*1:【追記】「「夜食の文化誌 青弓社」の123Pに「1910年」「同じ年の千束町ではすでに「支那料理屋」が十軒以上並び、中華料理の匂いが町中に満ちていたという。」と「春陽堂 新小説 第十七巻第四号 1910 100〜101P」に書かれているとします。「浅草経済学」との整合性があるといえ、傍証といえると考えます。

*2:【追記】浅草中華以前の横濱居留地南京町中華料理は「社会百方面 乾坤一布衣(松原岩五郎) 民友社 明30.5(1897)」「居留地風俗記 27年初夏(1894)」の章の「飲食店 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798562/14?viewMode=」で「𩙿包(飽)餅 はうぺい」(包餅、春餅。薄焼きパン・クレープの様なもの)、「油團 ゆだん」(おそらく甘い餡の入った揚げ団子)、「わんだん」「ちゃぶちい」「豚蕎麦」「豚饅頭」(いわゆる「豚まん、肉まん」以外に焼売の可能性もある)について書かれ、原ラーメンの豚蕎麦とチャプスイなどが明治中期の居留地横浜の南京町にすでにあったといえます。

「GDPと三八式歩兵銃(ガメ・オベール、大庭亀夫)」より

 先日「ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日」というブログの「GDPと三八式歩兵銃 https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/08/08/arisaka-type-38/」という記事にコメントを入れました。

 摂津国人         
 こんばんはおじゃまします。
     
 「欠点は口径が小さすぎて殺傷能力が低く、アメリカ側から書かれた戦記を読んでいると、なんとはなしに45口径や38口径が入り乱れているなかで、ただひとり22口径で射撃している健気なギャング」と書かれれていますが当時のアメリカの小銃は30口径で日本の三八式の6.5mmは26口径になりそれ程の大きな差ではありません。
   
 それと現在のアメリカ、ロシア、中国、日本の制式小銃の口径は自動式ではありますが何れも22口径です。45や38等の短距離用の拳銃の大口径と中遠距離用の小銃の口径や役割は異なります。とくに「殺傷力」が低いとは言えません。射程距離に劣るところは有っても「突進してくる海兵隊員を一発で倒すことは難しかった」という事は有りません。
 それと太平洋戦争期には7.7mmの九九式普通実包に更新され30口径7.62mmのアメリカの小銃と威力の差は有りません。大戦後期には多くが7.7mmの九九式小銃及び九九式短小銃に更新されており、その上歩兵小隊であっても基本的には軽機関銃や軽迫撃砲も配備されていて「三八式歩兵銃のみを武器にして戦った」というのも事実ではありません。
     
 それと当時の世界では英仏独伊ソを含む世界では一部の部隊などを除く基本の制式小銃はボルトアクションライフルが主流で自動銃はアメリカ位の特殊例です。
 三八式歩兵銃については「三八式歩兵銃と日本陸軍」(ボビージャパンMOOK) が出ましたのでよろしければご参照ください。

(mmが環境依存文字になっていたので修正した)
           
 こちらのコメントは公開されずにこちらの記事にこのような文章が書かれました

https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/08/11/panzerfaust/#comment-7004

補遺:

「GDPと三八式歩兵銃」の記事を書きながら、きっと来るよなー、そりゃあ来るに決まってるだろう、と考えていたコメントがやっぱりいくつか来ました。
第二次世界大戦では他の国もボルトアクション式のライフルが主流でアメリカは例外です」というコメントで、「アメリカは例外」という、その「例外」と戦ったのを忘れているようなコメントで面白いが、どこかに、あるいはあちこちに書いた本や雑誌があるのでしょう。いつも決まって同じようなコメントが来る。

今回はなぜか、いつものような失礼な口調は少なくて、表面だけでも丁寧な口調なので、さすがにコメントとして採用する気はしないが、少しだけ説明しておきます。例えば、どの投稿者も問題にしているドイツがなぜ最後までKar98kを使っていたかは 軍隊である以上、当然のコストの問題のほかに、本来「防御兵器」である機関銃を攻勢的に使う、という、ロンメルの「Infanterie Greift An」(Infantry Attacks)以来の不思議な伝統があります。
それを可能にするMG34/MG42という他国軍とは大きく設計思想が異なる機関銃も持っていた。
    
ほんとうは、(特に大日本帝国の各種兵器について)日本の兵器ヲタクのひとびとと話して遊びたいところですが、このブログは、そういうことをする場所ではないので、とりま、とりあえず、戦術思想に拠っていることを示すために、アメリカ人がつくった、有名なドイツ歩兵の戦術をうまく解説した短いビデオをyoutubeから探し出して、リンクを貼っておくことにします。
皮肉な気持ちで言っているのではなくて、これを観て、考えてください。
兵器は個々の兵器だけをみると、おおきく誤解して、全体を間違えてしまいます。
どうか、そのことを忘れないで。
     

        
 なぜか意味の取りにくい賛同?コメント等は公開されていながら、こちらのコメントは「さすがにコメントとして採用する気はしないが」とコメント本文を示さずに「説明」をされています。
 こちらの指摘の本論は三八式歩兵銃や旧日本軍の小銃や武装についてと拳銃・ライフルの口径や威力の違いに対してなのですがその点については書かれず、ドイツの話に限定し、これもあやしげな「ドイツの戦術思想」とやらの話をされています。
      
 ドイツの「MG34/MG42」は日本も含む当時の多くの軍隊が採用していた攻撃(とその支援)にも用いる軽機関銃と、それとは別の大型の「防御兵器」用の重機関銃を統一した汎用機関銃(General Purpose Machine Gun)のことで、第二次大戦期には攻撃(攻勢)用の軽機関銃自体はごく一般的な兵器です。日本でも九六式軽機関銃と九九式軽機関銃が配備されています。
 「設計思想が異なる」のは統一している部分で、その後世界では標準になっています。
      
 元の記事は日本ではときどきみかける「非軍事系」の資料による「間違った軍事・兵器知識」から敷衍して「想像」「推測」で書かれた俗流日本論戦争論のようです。
 「読み物」レベルの資料を裏どりもせずに読み、ご自分の「思想」や「論理」で理解する人に多い間違いです。
      
 これでも納得する人や愛読者もおられるようですが、ネットではこういった根拠のない浅薄な情報が、さも詳しいかのように書かれている事も多いので、(勿論この記事自体も含め)ご自身に知識のない内容を読まれる際は気を付けて読んだ方が良いでしょう。
  (どうして旧日本軍をあまり評価しない摂津国人が結果的に擁護せざるを得ないのか……。幾らでもダメな部分あるでしょ……。)
  
 心配なのは、この文章を読むとこの方が実際に「45口径や38口径」の拳銃や6.5mmや7.62mmのライフルの銃弾に触れたことがあるかわかりませんが、「今度のオークションでArisaka Type 38を買おうとおもっているが、機会があったらブログでも報告します」と実銃を購入できたりする環境にあるように書かれています。
 もしこれが本当で、実際に買われた場合、そのような誤解をされていると大変危険なので気を付けていただきたいと思います。

好きな海外旧作テレビドラマシリーズ(動画有注意)

 おっさんなので時には昔話をする資格ぐらいは有るはずです。 
 欧米のテレビドラマに好きな作品も少なくはないのですが、あまり相手にしてくれる人もいないので書いちゃいましょう。広いネット世界だと興味のある人もいるかもしれません。
 特に映像作品に造詣とかがあるわけでもないので批評とかではなく雑談です。
      
 いちおうベスト5という事でまず5位から……といいながら最初から同点5位2作です。
    
 最初は名作「刑事コジャック」原題は「KOJAK」だとか。
 アメリカで1973年から1978年、日本では1975年から1979年まで放送され、何度も再放送もされた中年以上の人には有名な作品です。
 スキンヘッドで(実際は彫りの深い美男ながら)人相が悪く悪役も多い個性派俳優テリー・サバラス(Telly Savalas)がベトナム戦争後期からの重苦しい雰囲気の当時アメリカの犯罪都市として知られたニューヨーク市警の「デカ長」NYPD第13分署刑事課主任テオ・コジャック警部補を演じます。サバラスはこの作品で権威あるエミー賞を受賞しました。
 いわゆるリアル系刑事ドラマの初期の傑作です。日本のエンターテイメントにも多く影響を与えました。
     
 異相ながらユーモアを好む大変なダンディ、清濁併せ呑むタフなやり手ながら正義感が強く人情家、アメリカの刑事ドラマにもかかわらずそれ程ガンアクションは有りません。
 「長さん」コジャックは稀にスナップノーズの短銃身小型リボルバーを抜くことが有りますが基本的にはマフィアやギャングであろうと知恵と「正義」で立ち向かいます。あまりに強すぎて銃など要らないとさえいわれる現場指揮官、そしてタフネゴシエーターです。
 ギリシャ系のサバラスの個性を生かし移民社会の縮図も描きます。日本語吹き替え版では森山周一郎の名演も光ります。
        
 同じく5位でこれは知る人ぞ知る(日本では受けなかった)「たどりつけばアラスカ」又は「ノーザン・エクスポージャー アラスカ物語」、原題は「NorthernExposure」。
 アメリカでは1990年から1995年にかけて第6シリーズまで作られましたが日本では第4シリーズまでしか放映され無かったとの事。アメリカではエミー賞ゴールデングローブ賞、ピーボディ賞といった錚々たる受賞歴を持つ作品です。
    
 ユダヤ系のニューヨークの医師の青年が奨学金の代償としてアラスカ辺境の架空の田舎町「シシリー」で「お礼奉公」を余儀なくされ、嫌々赴任してきます。
 エリート意識が強い「うらなり」都会人の彼がそこで地域唯一の医師として町の変人奇人の騒動に巻き込まれながらも(嫌々ながらも)徐々に馴染んでいく基本的にはコメディ作品です。
 日本ではありえる単なる「純粋な自然、素朴な人々に心洗われここで生きる事を誓う都会人」の話でも「頑迷な田舎の人々の心を青年医師が解きほぐしていく」というタイプの作品ではなく、俗物も多く癖のある人々のドタバタ劇をアメリカほら話「トール・テイルズ」技法も取り込みながら、「自由と多様性の国アメリカ」の物語として「最後のフロンティア」アラスカを舞台に描きます。
 「ステレオタイプ」を微妙に崩していく飄々としたユーモアに何とも言えないおかしみと余韻が有ります。
 
 第4位は「ふたりは最高! ダーマ&グレッグ」「Dharma&Greg」。
 アメリカで1997年から2002年まで、日本では1999年から2002年まで放送されました、これはそこそこご存知の方も多い作品でしょう。
 ヒッピーの両親を持ち自らも神秘思想を持つヨガ教師の自由人ダーマと保守的な上流階級の息子で検事補という固い仕事につく生真面目なグレッグが出会ったその日に恋におち、その日のうちに結婚することから始まるシチュエーションコメディです。
   
 双方の家族や友人たちを巻き込み価値観やライフスタイルの違い、個性的なキャラクターによる騒動などを明るく笑いにします。 
 資産家と庶民、体制派と反体制、保守派とリベラル、人種属性、個性といった異なる人々の特性やすれ違いを出来る限り全方面に公平に「ネタ」として笑い飛ばします。
 幾らか辛辣な社会風刺の側面もありますが、それを明るいダーマと誠実なグレッグの愛情でまとめ上げ、「良きアメリカ」を示した作品だと感じました。
 残念ながら同時多発テロの影響でコメディが受けなくなったというのが終了の理由だともいわれています。 
   
 第3位は「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」「StaTrek:DeepSpaceNine(DS9)」
 アメリカで1993年から1999年、日本では1996年から2002年まで放送されたとのことです。
 SF特撮ドラマ「宇宙大作戦」から続く「スタートレック」シリーズの異色作で他の作品が宇宙戦艦を舞台にした冒険譚なのに対し、この作品は「惑星連邦」の軍事基地「DeepSpaceNine(DS9)」を舞台に多くの宇宙種族による政治的軍事的な関係を描く群像劇の側面を持つポリティカルフィクションです。
      
 「スタートレック」シリーズは人類が宇宙に進出し多くの異星人との接触や戦争を経て一大勢力として多種族社会を形成した未来社会で、基本的に「宇宙艦隊」の現場指揮官、艦長や司令官を主人公とした作品です。
 この作品は戦争の結果独立を果たした小国近辺の基地を任された宇宙艦隊軍人らの活躍と壮大な歴史の一部を多くの登場人物の物語と重ね合わせ、重層的に描き出します。個性的なキャラクターと「人間」模様、複雑な事件、政治外交、謎の敵、宇宙大戦、見応えのある作品でした。
 90年代中盤から後半にかけての「冷戦後」の時代を反映した作品ともいえるかもしれません。
 
 個人的には最後の方の少しニューエイジ的な部分にひっかかるところもありましたがシリーズでも特に好きな作品です。
 テレビドラマとは思えない高品質な特撮・特殊メイクとコンピューターグラフィックスも見どころです。
    
 第2位は無く1位が2作。
   
 第1位ひとつ目は「特捜班CI-5」原題は「TheProfesssionals」。
 イギリスで1978年から1983年に掛けて放送され、日本では80年代に地域ごとにばらばらに放送された作品です。80年代半ばに見たような記憶が有ります。
 冷戦下のイギリスの架空の内務省非公然防犯対テロ特捜機関「CriminalIntelligence5(クリミナル・インテリジェンス・ファイブ)」の秘密捜査官のドイルとボーディ、ボスのコーレイ部長らを描くアクション作品です。
 組織犯罪、凶悪犯罪だけでなく当時の東側機関にたいする防諜やそのころも世界を騒がせていた国際テロにも立ち向かいます。

 事実上はボスのコーレイ部長の個人機関であるCI-5は特殊技能を持つ様々な「凄腕」メンバーが集められ荒事・暴力も厭わずダーティーな手段も用い事件を解決します。メンバーの殉職も珍しくは有りません。
 情報機関出身で政治家にも顔の利くコーレイ部長は「社会の敵」には容赦をしません。当時のイギリスでも暴力描写が問題視される部分も有ったようです。
   
 切れ味の良いアクション、「リアル」な銃の使用、緊張感のあるシーンが当時としても突出した完成度で、この後ほかの多くの作品のガンアクションを見ても物足りなくなるほどです。
 シナリオの完成度の高さも見どころです。複雑で凝ったストーリー、個性的なキャラクター、気のきいたセリフ、クールな演出、ウイットとユーモア、スピード感。
 警官上がりで少し熱血・ナイーブなドイル、傭兵出身で裏の世界に居た非情なボーディの主役コンビ、口うるさいが面倒見の良いコーレイ部長とその他のメンバーも魅力的です。
     
 個人的にはポリス&スパイのアクションドラマとしては最高の作品だと思います。イギリスでは最高視聴率70%だったとか。
 士郎正宗の「攻殻機動隊」がこの作品からインスパイアされて作られたというのは良く知られた話です。「公安9課」はCI-5で「荒巻大輔課長」はコーレイ部長そのものです。
 新007シリーズのマーティン・キャンベル監督を輩出したことでも知られます。  
 
 ふたつ目の第1位は「女刑事キャグニー&レイシー」「Cagney&Lacey 」。
 アメリカでは1982年から1988年まで放送された作品です。日本では1980年代末に放送された覚えがあります。
 邦題は際物っぽいタイトルですが作品部門で2度のエミー賞と特に同賞ドラマシリーズ最優秀主演女優賞は1983年から1988年に掛け6年連続で主演の2人(シャロン・グレス、タイン・デイリー)がとり続けたというアメリカの1980年代を代表する作品の一つです。これもアメリカとは違い日本では人気が出ませんでした。
  
 ニューヨーク市警・NYPD第14分署の30代の女性刑事2人の社会派刑事ドラマです。
 2人はタフでも凄腕でもない普通の人間です。クリス・キャグニーは独身のキャリアウーマンでメリー・べス・レイシ―は子持ちの既婚者、美人のキャグニーと地味なレイシ―、保守派のキャグニーとリベラルなレイシ―。
 職業警察官として当時の犯罪都市ニューヨークに立ち向かいます。

 多くの場合、事件と2人や周囲の人たちの出来事が対応したり、社会の矛盾と向き合う事にもなる複雑なシナリオで単なる痛快な娯楽作品とは言えない内容です。上手く解決する事件だけではなく苦い余韻を残すことや不本意な解決を選ばざるを得ない場合もあります。
 双方ともプライベートや職場の人間関係でもトラブルはあり、普通の人間として自分自身の問題も抱えることも有ります。いわゆる「リアル」路線です。

 当時のアメリカ社会の問題を鋭くえぐる作品です。
 特に男性社会とされる警察と女性が被害に遭いやすい犯罪の問題、移民、人種、貧困、自由の国アメリカの矛盾、理想と現実、政治、家族の問題、麻薬やアルコールなど現代日本でも向き合わなければならない多くの事象に安易に「正解」を求めない姿勢は社会派ドラマの教科書といえると思います。
   
 だからといって暗い作品ではなく軽妙な会話と魅力的なキャラクターで良く練られた物語は全く退屈させられることはありません。大変充実感のある「面白い」作品です。
 この作品の少し前から近いタイプの(これも傑作)「ヒルストリート・ブルース」も放送されていますが個人的にはこちらの作品の方が好みです。
    
 以上が個人的な欧米テレビドラマベスト5(6作ですが)になりますが、これを基に「日本のドラマはなっていない」と主張するつもりはそれ程有りません。
 これらの作品は日本の数倍の市場規模を持つ英語圏の作品でもごく一部の作品です。
 特に日本や東アジア圏では日常的に抑圧が多い側面が有るのではないかとも考えますので、より「息抜き」的な軽いエンターテイメントの方が求められる部分が有るといえるのかもしれません。自分自身でも軽いコメディや痛快アクションやメロドラマ等のお約束の娯楽作品も充分に好きですし欧米でもそういった作品の方が主流でしょう。
 むしろ日本のドラマで価値の高い作品とされるものが長い間「面白さ」を等閑視していたのではないかと感じる部分が有ります。説教臭さが真面目さとされているところが有るようにも感じます。
 
 ただまあ、日本のドラマ(アニメも含む)とは異なる視点のある欧米のドラマを見るのもたまにはよいのではないかと思います。日本語版は声優の名演も見どころです。
   
【動画】(雰囲気だけでも)

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