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リテラシーと理解について考える

マクロビオティック入門

 初めてマクロビと出会ったのはテレビ朝日の「スマステーション」という番組でアメリカで活躍する日本人女性という事での歌手マドンナの専属シェフ「西邨まゆみ」氏の紹介を見た事です。http://www.tv-asahi.co.jp/ss/202/mij/top.html
 あの素晴らしい肉体とダンスパフォーマンスを支える食を任されている料理人だとか。
     
 元々自分が和食の人で素材にも興味があり、菜食や創作料理の新しい技法の事についての勉強もしていたので何か新しいスタイルの料理ではないかと理解し記憶に残りました。
   
 日本料理や中国料理・韓国料理辺りの「伝統的」な料理には、陰陽説や五行説等の道教的な自然観に基づく独自の食品感や調理理論による約束事と宮廷料理等での典礼や禁忌があったりします。
 東洋医学・経験的な「体に良い」食事についての考え方も有り、古典として残る料理書や伝承は興味深いものです。
 日本独自の「食べ合わせ」や体の状態や季節感を考えた食事には先人たちの知恵や経験が残されているとも考えられます。
 「医食同源」を理想とする「東洋的」な考えは多くの人の共感を得てきました。長年にわたる研究の歴史の積み重ねがあります。
 古くから中国の博物書「本草綱目」は広く読まれていて日本版の「大和本草」を示した貝原益軒も「養生訓」において食と健康について述べています。
 江戸時代の日本の農書や園芸に関する研究は進んでいて、料理書も多く出されていました。料理書を復刻したものにも日本独自の「医食同源」を感じさせるような「思想」も読み取れます。
 明治時代のベストセラー、村井弦斎の「食道楽」でも当時の栄養や衛生の知見に基づく食と健康についての考えが多くの人たちの支持を得ました。
   
 現代は一面に於いて飽食の時代で、不規則・不健全な食生活、高カロリーな食事等による生活習慣病の問題も有ります。
 伝統的な東洋の経験や知恵を栄養学の知見と組み合わせ美味しく健康的な食生活に生かすことは出来ないのでしょうか。
 欧米で成功している日本の料理の菜食についての考えを取り込んだ物があるのなら良いのではないか、今時の味覚に合い「健康的」で美味しい料理法があるのなら面白いのではないかと考えたのです。
 身心を部品として分けて考えるのではなく、全体としての調和を目指すのは人が生きる事にも有意義だとも考る事も出来ます。
  
 実は元から民俗学や思想史の呪術的な側面には興味があり、柳田國男中野美代子吉野裕子等の本で少々楽しんでいた事も有ります。
 農文協の「聞き書 日本の食生活全集」も愛読しています。その時代の多くの人たちのより良い食に対する工夫や努力には感心させられます。農作物の持続的な生産と日々の生活や健康への食事の寄与は人々の関心事でもあり願いでもありました。
  詳しくありませんが中国思想のに基づく食関係の物を読んだこともあります。人間と自然を一体として捉える思想には魅力が有ります。
 禅寺等で食べられ、身心を高めるとされる精進料理にも興味を持ち勉強もしました。
 人間と自然の調和を考え、歴史や文化を重んじる健康的な食の理論があれば素晴らしいことだと思います。
  
 個人的にも若い時のこってりとした脂っこい肉食中心の生活で贅肉が付き、それを野菜を重視し大豆や魚を取り込んだ食生活に切り替える事によって贅肉を落とし、体調が改善した経験も有ります。
 旅先で日本の多くの地方の食文化や食材の素晴らしさや奥の深さに感銘を受けました。農業や漁業の関係者との出会いもあり多くを学びました。伝統や自然には敬意を感じています。
   
 テレビを見た数日後図書館に行ったところ、ちょうど新刊書のコーナーにマクロビオティックの本がありました。
 借りようかとも思い少し開いてみました。
   
 ……何これ?「とんでも」やん。
 初心者レベルでも解る栄養学的な出鱈目と思いつきの様な牽強付会、日本や中国の「伝統的な」食についての考えとも異なる訳のわからないヘンテコな独自理論、科学とも伝統とも関係ない…寧ろ中途半端に近代的なオリジナルの呪術です。酷い。
 お爺さんの自己流健康法を拗らしたような変に説教臭く中途半端に「道徳的」な屁理屈、特定の食材に対する偏見と意味の無い排除…。
 変な新興宗教の様です、馬鹿馬鹿しいので読むのは止めにしました。
   
 玄米食なんて消化が悪く美味しくもないです(白米に煎り糠振り掛けても栄養は変わらない)野菜を皮ごと食べる意味も解らない(ただの繊維でしょ)、肉や牛乳を避けるのも只の「穢れ」除けの様で、海藻など本来それ程たくさん食べるものでもないし、どう見ても栄養バランスが悪いですね。
 何かの「修行」のよう。それも「健康」以外の目的での…。神道修験道や禅を相当歪めた怪しい即身成仏教団…。
   
 まぁ肥満体質の人が短期間行うのなら有りかもしれません、カロリー摂取の多い人が時々食べる「減量食」ならそれ程悪くはないかもしれません。しかし毎日、長期間実行すると寧ろ体に良くない偏食でしか無いでしょう。
 とにかく伝統とも科学・健康とも関係なく、根拠のない個人の「思想」でしかなく意味のあるまともな「食文化」では有りません。日本や中国の精進料理とも別物です。
  
 興味を無くしたので本を置きました。その後、一部で流行っているには知っていましたが気にかけていませんでした。
 やはり「伝統食」や「東洋の知恵」は現代の知見から謂えば簡単には用いることは出来ず、慎重に害のない部分だけ「文化」として工夫して用いるしかないようです。
  
>とらねこ日誌 [マクロビ関連]
 http://d.hatena.ne.jp/doramao/searchdiary?word=%2A%5B%A5%DE%A5%AF%A5%ED%A5%D3%B4%D8%CF%A2%5D
>どらねこ日誌 マクロビ関連エントリ
 http://blogs.dion.ne.jp/doramao/archives/8608468.html

 
 マクロビオティックは明治時代の軍医石塚左弦の「食養」という前近代の「前栄養学」といえる「未科学」から始まったようです。
 陰陽などの呪術要素を持ち現代の栄養学が始まる前の「仮説」の一つでも有ったようです。当時としてはその様な考えも有り得たのでしょう。
 近代にいたりビタミン等の栄養素の発見や身体のメカニズムの研究や解析技術の進歩により、妥当性がないのが明らかになり忘れ去られた「前世紀の遺物」になりました。
 現代の根拠に基づく研究の積み重ねから見ると有用なものは殆ど見られません。残念かもしれませんが捨て去るべきものです。
      
 それを桜沢如一という人が「健康法」として甦らせたもので、その段階ですでに多くの問題を起こしていたようです。
 その一部が、このままでは日本での「ビジネス」は駄目なのが明らかなのでアメリカ・ヨーロッパに行き、「東洋の神秘」の「ダイエット食」として成功し、それが改めて「マクロビオティック」として逆輸入されたと理解できます。
   
 日本でも分派した他の食養集団と共に「伝統」や「自然」を安易に用いる風潮に乗り、広まって来ているように見えます。
 明らかに偏った食事なのでむしろ健康を害することも有るようです。
 名称のイメージと異なり、中途半端に古臭く不合理な迷信としか言えないものです。検証や自己批判を怠り頑迷に「教義」を守り事実を受け入れない不真面目なカルトです。病を治すなどという事は出鱈目です。
 現代の標準医療を排除し、根拠の無い似非医療を振り撒く危険な「お医者さんごっこ」でしか有りません。
  
 それが現在「正食」や「身土不二」「食養」といったキーワードとともに科学的な根拠も無いにも関わらず、「道徳的」に「善いもの」として受け入れられているのは問題です。
 「伝統派」の保守層や右派や「自然派」の左派やインテリ層だけでなく、農業や教育・医療に関係する人たちも都合の良い部分を簡単に取り入れてしまい、飲食・食品製造業でも商機とみて利用していることも有ります。
  
 特に問題なのが出版やテレビなどのメディアが内容を真面目に検討することも無く表面の良い部分を摘み食いするように用い、踏み込んでしまった場合の危険性や不合理に目を向けず「おしゃれな健康食」として安易に「善いもの」として垂れ流しているようです。

 根拠のない「自然食」や科学・技術や大量生産、輸入品に対する忌避等を利用し、受け手のプライドをくすぐる「道徳観」を与える事による「信仰」として機能しています。
 オカルトや迷信の「再利用」である「ニューエイジ」文化との親和は明らかです。
 特にマクロビは入口の敷居の低さに比べ「信じて」しまった場合には道徳観を用いることによって後戻りができにくい構造である事に大きな問題があります。
 「善意」や「道徳」を示す日常の生活の中で「価値観」の表現としての役割も持ち、身体に直接取り入れる「食事」について「事実」ではなく「意味」で支配します。
 集団内でのマクロビの「流行」は異を唱えたりする事が憚られる同調圧力の中で、人間関係を「人質」に取る形で避けることが出来なくするでしょう。
    
てんかん(癲癇)と生きる「贅沢な、というか特権的なマクロビオティック。」
 http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10768051916.html
     
 事実関係の理解に道徳的な「価値観」を持ち込むことで認知や理解をコントロールされてしまう事の危うさが読み取れます。
 現代の「根拠に基づく医療」の否定や排除、寧ろ不健康な偏食への誘導、怪しげな集団への入り口としての役割などの多くの問題が有る様です。
 本来は「おしゃれな健康食」「日本の伝統食の再評価」等と考え安易に評価したり取り入れるべきものでは無いのは明らかです。
  
 玄米食については誤解が有る様ですが伝統的に食べられていたのでは無いようです。

ミツカン水の文化センター「だしの起源と変遷」 奥村彪生
   
>あと間違ったらいけないのは、日本では玄米は食べていませんよ。江戸時代の料理書や随筆集の多くを読んだけど、玄米は出てきません。弥生時代から日本は竪杵(たてぎね)で籾米を搗いて籾取りをしています。摩擦力で米の形成質層、糠(ぬか)は少し取れます。確かに精白度は低いけれど、完全なる玄米ではありません。奈良・平安時代は、これを黒米といいました。
>玄米食を提唱し始めたのは、石塚左玄です。
>それに当時は、籾擦り機がないから完全な玄米がつくれなかった。江戸中期になると、籾擦り機が中国から入ってきて、完全な玄米ができるようになる。でも、百姓は精白しましたよ。臼と杵があったからです。それに、当時は煮炊きは薪ですから、玄米なんか炊こうとした

らたくさんの薪が必要になるのです。その薪代が馬鹿にならん。山だって入会権がありますから、勝手に薪を取ってくるわけにはいかんのですよ。
 http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_33/no33_c03.html

 ※注:奥村彪生氏は自然科学者ではなく栄養の専門家でもありませんので栄養についての知見は参考にしないでください。
 たしか石毛直道氏でもアジアの米食民で日常的に玄米を食する文化は無いとの発言を読んだ覚えがあります。
 「日本の食生活全集」等によると農村でも基本的には精白した米を雑穀や根菜等と炊き込む「糧飯」が主食であったそうです。
  
 石塚左玄とも関係のあったらしい村井弦斎は後年独自の木食や断食の研究へ向かい結局不健康な晩年を過ごし寿命を縮めた様です。
   
 マクロビの問題の一つとして「カジュアルマクロビ」の事が有るでしょう。
 上にも書きましたが野菜等の摂取の少ない肉や油の多い食生活を送る不健康な状態の人にとっては、生活の一部に限定的にマクロビを取り入れると幾らかバランスがましになり体調が良くなる事も有り得ます。
 便秘の人等も繊維を摂ることで体調が改善したり、他にも偶然短期的に「効果」が有る人も考えられます。

 健康で体力の有る人が時々おしゃれで「健康的」なマクロビ食品を食べても何の問題もないのかもしれません。
 
 野菜や海草や米を食事に取り入れ、肉や脂肪や油の多様を控える動機づけとして有用に感じるかもしれません。
 日本の農業や伝統に目を向けさせる為の方便かもしれません。
 殆どの人には大した問題ではないのかもしれません。
 プラセボ効果で「健康」になる人もいるかもしれません。
 不治の病の方の「希望」になる事も有るのかもしれません。
    
 ですが「マクロビオティック」や「食養」が根拠のない「迷信」で、基本的には本気にすると有害な物であることは覚えていてください。
  
[追加リンク]
>あぶすとらくつ 「ニセ科学ツアー_マクロビオティック追記あり)」
 http://t2sy8u.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aeac.html
  
 カジュアルマクロビで有名な人物であり「マクロビオティック入門」という本も出している久司道夫氏の思想についての記事です。第6弾まで有ります。
>ままならねーことこのうえねー「マクロビの久司先生に訊け! その1 」
 http://blogs.yahoo.co.jp/variableannuit/61457786.html