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リテラシーと理解について考える

続・神話としての日本刀 鍛冶と鋼

 先日の記事「神話としての日本刀」を書くためにインターネット検索で調べていると日本刀の製法や素材について書かれている文章に幾つか出会いました。
 内容について気になった物も有るので幾つか挙げてみましょう。

・軟らかい鉄と硬い鉄を張り合わせて作り上げる日本刀は世界に類を見ない凄い技術だ。
・ヨーロッパ等の大陸の刀剣は軟鉄又は全鋼の単純な製法の品質の低いものばかりだ。
・中国や韓半島の鉄鋼の技術は日本より劣り、品質も低い鋳物の刀剣が使われていた。
・日本は古来より生産・技術とも進んだ鉄鋼大国だった。
・日本古来の製鉄鉄鋼技術は近代製鉄に比べ生産性は劣るものの品質は素晴らしく近代先進国も伝統的な日本の製鉄から学んだ。
・日本刀の技術や玉鋼の素材については現在の科学でも説明の出来ない凄いものである。


 「鉄」という素材の特徴には「腐食しやすい」「再利用が容易」という点があります。
 歴史の資料としての鉄の研究が難しいのは遺物として原形を留めているものが少ないからで、粗雑な管理のものは錆付きや土中に埋められても朽ち果ててしまいます。腐食が深く進んだ物は熱処理だけではなく多くの場合は素材の組成すら簡単にはわからなくなります。
 現代でも「くず鉄」が素材として有効利用されているように近代以前でも鉄器は回収され再利用されるのが普通でした。
 あとは内部の構造や素材の成分は試料を「破壊」 しないと検査が難しいという点も有ります。
     
 鉄の歴史は西アジア周辺の古代オリエント文明に始まるそうです。紀元前20世紀頃から用いられた可能性もあり、アナトリアヒッタイト帝国周辺で本格的な実用化がされたとされています。
 早い時期から鉄の中に「鋼」という硬度が高く圧延も可能で熱処理も出来る素材があることは知られていました。
 遺物としては紀元前8世紀頃のイラン北部で軟らかい鉄と硬い鋼を張り合わせる鍛接技術を用いる短剣が見つかっています。「鍛接」は鉄器文明の社会では多く見られる古くからあるごく普通の技術です。
 インドの「ウーツ鋼(ダマスカス鋼*1 *2」は古くから知られ、例えばヨーロッパでも16世紀のゾーリンゲンの武器生産でも鍛接は当たり前のように用いられました。
 「ウーツ鋼」も「日本刀」も既に再現は不可能では有りません。
            
 中国では紀元前13世紀頃から鉄が用いられ始めます。最初は輸入していたのかもしれませんが春秋戦国期の紀元前5世紀頃には製鉄も確認されています。最初は鋳造の農機具から使用が始まったとも考えられます。*3
 秦漢時代には急速に鉄の武器が行き渡ります。初期には鋳造の武器もありますが鋼も使われ鍛接技術も存在します。
 驚くべきことに漢代には鉄鉱石を用いる「高炉」が使用されます、これはヨーロッパよりも千数百年以上も前になります(日本の高炉は江戸末期)。
 「炒鋼法」という精錬技術が用いられ、高品質の鋼が生産されていました。
              
 中国や韓半島で近代まで鋳鉄の農機具が使われたことは事実ですが、この「鉄を溶かして精錬する」進んだ技術を「鋳鉄」と誤解している人もいるようです。中国でも基本的には刀剣は鍛造で作られ鍛接も行われていました(所謂「青竜刀」(柳葉刀)自体も中国の刀剣としては代表的なものでは有りません)。
 10世紀以降は技術の進歩が滞りますがヨーロッパが追いつくのは近世以降です。
                 
 日本では弥生時代には本格的な鉄の使用がはじまりますが材料については輸入に頼る状態が続きます。
 鉄の輸入や加工の多くを韓半島伽耶」等に頼り「倭人」達は大陸に足場を求めます。
 6世紀には日本での鉄器生産も本格的に行われはじめていたとみられます。
 隋の成立により韓半島の緊張も高まりその関係で大和政権は自力での製鉄・加工を進めたようです。
 恐らく日本では当時鉄鉱石が発見されていなかったという理由で砂鉄を用いた「たたら」が試みられたとも考えられます。
 とはいえ砂鉄を用いた当時の「たたら」製鉄はとても非効率なもので有ったはずです。その上遺跡などで「製鉄遺跡」とされていた物が近年の調査・研究で「精錬遺跡」とされる事が多くなってきました。銑鉄を砂鉄を用いて脱炭して鉄鋼にしていたようです。
 7世紀に唐が成立、新羅による韓半島統一があり一時大和政権は軍事的に対立します。鉄の国内生産が求められたようです。
        
 9世紀末に遣唐使が廃止されますが、実はその頃には大陸との民間貿易が盛んに行われています。面倒な「外交」が忌避されただけです。        
 10世紀に成立した宋との貿易は盛んでした。当時日本からの輸出品としてはすでに「日本刀」が有りました。
 日本では剣や直刀から湾刀への変化は東北地方の「蕨手刀」や唐の太刀の影響が想定されています。
 後に大型の「太刀」から比較的小型で抜きやすい「打刀」に変わります。
 当時の「日本人」も高度な鍛冶技術を持ち、素晴らしい「日本刀」を造り出していました
 既に火器を導入し集団での野戦が重視され個人装備が軽視されていたらしい中国では高品質であった日本刀は珍重されたようです。
 その後の明の時代にも日本刀は多く輸出されました。最盛期の15世紀半ばから16世紀の半ばの100年程の間には20万本以上輸出されました。
 ただ一方では16世紀に掛けて刀の単価は10分の1にも値崩れしました。粗製濫造のせいか、中国製「倭刀」との競合のせいかもしれません。
 明の中国鋼鉄刀は「倭寇」の猛威もあり日本刀の影響を受けたものも多くなります。
 実際、優美で軽量で携帯しやすく抜きやすい、乱戦や近接格闘戦に向いた日本刀はとても優れたデザインです。
              
 とは言え日本刀は一振りが約1キロです。材料の鉄はその数倍が必要ともされますから500〜1000トン以上の鉄が必要だったはずです。
 日本国内の需要も含めれば最低数千トンの鉄が生産されたはずです。
 しかし近世以前の日本の製鉄は殆ど痕跡が見つかりません。
 比較的効率の良いとされる「近世たたら」でも木炭も砂鉄も出来る鉄の3倍以上が必要だったそうです。
 近世たたらが盛んだった江戸時代に行われた効率の良い「鉄穴(かんな)流し法」による砂鉄採取は環境負荷が多く痕跡が残ります。
 江戸時代には大きな問題になりました。  
 中世には露天掘りだったともされますが今のところ遺構は見つかりません。
 日本では需要に見合う鉄鉱脈が開発された痕跡はありません。
 実はその当時日本に中国から鉄の輸出がされていたと明の側の記録にはあるそうです。韓半島の製鉄についても知りませんが日本と同じくある程度は中国の製鉄の影響下にあったはずです。
            
 実際の研究でも日本製鉄先端技術研究所出身の佐々木稔氏は日本の「日本刀」を含む鉄製品には一貫して中国産の鉄鉱石・磁鉄鉱から作られた銑鉄を原料とした痕跡が有るとしています。船のバラストとして持ち込まれた銑鉄が日本の鉄の原料であったと考えているようです。
>鉄の時代史 佐々木稔 雄山閣
鉄の時代史  
>鉄と銅の生産の歴史―金・銀・鉛も含めて 佐々木稔、他 雄山閣
鉄と銅の生産の歴史―金・銀・鉛も含めて  
            
 実際、琉球時代の沖縄の製鉄原料は銑鉄であったとされますが輸入ルートは不明だそうです。
>野鍛冶 朝岡康二
野鍛冶 (ものと人間の文化史) 
 中世後期(戦国時代)には一定の量のたたら製鉄が存在したのは間違いないですがその時代にも「鉄不足」で輸入をしています。   
 室町時代末期から輸入された「南蛮鉄」もインドの「ウーツ鉄」の他中国「福建鉄」との説もあるそうです。
 すでにヨーロッパでも高炉による製鉄ははじまっていますが喜望峰を回って運んでくるのは割に合わないでしょう。
 近世や現代の「ナショナリズム」的な「日本刀」観とは違い近世以前の「古刀期」の鍛冶は拘り無く「良い素材」を用いていたと考える研究もあります。
 「国産」に拘ることは無く性能を重んじたとしてもそれは悪いことではありません。
 古墳時代末期にはじまった製鉄は交易が盛んになり「完全国産化」の必要はなかったとも考えられます。
 「純国産」に意味はないのですから当時の生糸と同じく輸入銑鉄が有ったとしてもおかしくないでしょう。
                 
 寧ろ江戸時代には「近世たたら」の「玉鋼」のみが日本刀の制作に用いられる事によりそれ以前の日本刀とは異なる「新刀」が作られ、そこに当時の精神性やナショナリズムの影響が織り込まれ「新々刀」「現代刀」へと進化し、現在の「美術刀」の文化を作り上げて来たとも考えられます。
 包丁や大工道具の影響の下、「純粋」ですが幾らか「硬すぎる」「玉鋼」を用い複雑な複合構造にする事で対応してきたのかもしれません。
 その時代の技術者は自分に可能な範囲での最善の努力と工夫を行ってきた筈です。
 江戸時代の現在知られている「�淅押し(けらおし)」とは異なる「銑押し(ずくおし)」の実像がわからない限り製鉄については安易に語れません。製鉄史や交易史については研究が始まったばかりともいえる状況ですが解明は進んでいる部分もあります。
 日本刀について「わかっていないこと」というのは「神秘」ではなく資料不足による「謎」の部分です。*4
                  
 上記の佐々木稔氏は「古代たたら・中世たたら」自体が実体が無いとして日本では精錬の「大鍛冶」から行われ、「小鍛冶」の鉄器加工が殆どであったとしていますが、個人的には後の「近世たたら」に繋がる小規模な「野だたら」は行われていたと考えています。
 佐々木氏は「銑押し」そのものを輸入銑鉄の精錬と考えているようです。
 名刀が多いともされる「古刀期」の「日本刀」は材料的にいえば日中合作かもしれません。
 そうだとしても日本の鍛冶や刀工の優れた技術には感銘を受けます。
 勿論それは「悪い事」でも「日本刀を貶める事」でも「鍛冶・刀匠を否定する事」でもありません。
 「民族の誇りを認めない事」でもありません。
>日本刀考及び軍刀雑妙
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_028.htm
   
 俵國一博士や窪田蔵郎氏の素晴らしい先行研究は有りますがそれに縛られる必要はありません。
 先入観を持たずに研究を進めることが知的誠実さです。中世も交易の時代であったことは明らかにされてきています。
 「古刀」については現在の日本刀と構造が大きく異なるものであるとの研究は多く有ります。
                 
 近代になってからの「日本」も「先進国」から学ぶ事を恐れませんでした。
 近代「安来鋼」も日本の伝統や精神を基にヨーロッパ・スウェーデン等の高品質鋼「東郷ハガネ」やイギリス・ドイツ等から学ぶ事で品質を向上させました。たたらから高品質の特殊鋼を作り出しました。
 「純度は高い」が弱点のある「たたら」を「より良いものに甦らせる」事に成功しました。
 伝統を生かす多くの研究がなされ、今では日本が「教える」立場になりました。
 「世界の中の日本」として充分に誇ることの出来る事実です。「学ぶ」ことは恥ずかしいことではありません。
 遺物の残りにくい「木炭と砂鉄をつかった野だたら」という史料的な裏づけの無い「歴史」を事実とするのは安易です。
 山陰山陽の「製鉄」が実は「精錬」が中心であったとしても「伝統」の価値を下げることにはなりません。
 日本の鉄加工技術の歴史が素晴らしいのは事実でしょうし日本刀の美しさには心惹かれます。
               
 少なくとも現在の時点で近世以前の日本の「製鉄」を過剰に「優れたもの」とする根拠は有りません。
 事実を認めず根拠の無い「迷信」を「信じる」事によってのみ成り立つ「神話」に頼るのだとすればその「誇り」とやらは弱さの裏返しに過ぎません。下手な「本家争い」「独自起源説」や他国に対する蔑視は「中華思想」そのものです。
 先人の現実的で柔軟な思考と工夫を偏狭なナショナリズムの型に嵌め込んでしまうのは歴史や伝統への冒涜にもなります。
 自分の「国」の現実の姿を「愛せない」のだとすれば悲しいとも感じます。
 ナショナリズムから来る先入観から歴史を決めつけ、期待に合わせた解釈から歴史を見ようとするのなら「旧石器捏造事件」の二の舞になり寧ろ自国の名誉を傷つけることにもなるでしょう。
 伝統を重んじる側の人間の一人としてそのように考えます。
ナショナリズム神話としての日本刀」について思うことを書きました。
 
〔追記〕
>俵國一 復刻解説版 古来の砂鉄製錬法―たたら吹製鉄法 慶友社 

復刻解説版 古来の砂鉄製錬法―たたら吹製鉄法

復刻解説版 古来の砂鉄製錬法―たたら吹製鉄法

 近世たたら製鉄についての古典的な名著です。「�淅押し」「銑押し」他「包丁鉄」についても詳述。
 現代から見ると幾らか古びた知識もありますが復刻解説版では専門家による解題と解説がそれを補います。
 個人的には上の佐々木氏はこれを前提にしたある程度整合性のある仮説だと理解します。

>窪田蔵郎 鉄から読む日本の歴史 講談社学術文庫
鉄から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

鉄から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

 戦後たたら研究の嚆矢となった名著ですがいささか話が広がりすぎで散漫としているのと現在では蓋然性が低いとされる説も書かれています。司馬遼太郎氏辺りと同じ、古い時代の本です。
   
〔追記2〕
 大正5年頃に「ドイツは日本刀を研究しそこから新しい合金を生み出した。日本刀はモリブデンが含まれていて凄い」という「お話」が有ったそうですが、窪田蔵郎 「増補改定 鉄の民俗史 雄山閣」によると駐日ドイツ大使館付武官が個人的な趣味で日本刀を蒐集していただけで製鋼技術として研究していた訳ではなく、日本刀にもモリブデンは殆ど含まれおらず、今だにその手の話は存在するが事実ではない迷信だそうです。
 「鉄の民俗史」は上の「鉄から読む日本の歴史」のだいぶ後で書かれた本ですが、「鉄から読む日本の歴史」で幾らか過剰な意味づけをしていた部分から史料的に明らかではない点についても補足的に示した本で読み合わせると論点がわかります。
   
〔追記3〕
 近世永代たたらから近代製鉄への変化、軍需等の特殊鋼への変化は。
たたら製鉄の近代史 渡辺ともみ 吉川弘文館
たたら製鉄の近代史

たたら製鉄の近代史

  
〔関連〕
 幕末銃器生産事情
http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20150308/1425744598

*1:〔追記〕オリジナルのウーツ鋼は坩堝(るつぼ)による特殊な製鉄法という説もある。

*2:【追記:2013/12/09】「ダマスカス鋼」はシリアのダマスカス辺りで作られたインドの坩堝製鋼「ウーツ鋼」(現在も再現されていない)を刃金に用いた積層鋼であるとも考えられ、同じような積層鋼はオリエント・ヨーロッパでは当時一般的な技法で、鍛造技術としては現在の「(類似)ダマスカス鋼」は再現は出来ているが「ウーツ鋼」を用いた厳密な意味での「ダマスカス鋼」が出来ていないと見るべきかもしれない。〈参考「ヨーロッパの中世 5 ものと技術の弁証法岩波書店

*3:余談ですが「青銅」も熱処理・焼き入れで硬化します。http://www.youtube.com/watch?v=_XonlcUCteY動画

*4:日本の鎧兜で多用されていた牛革の小札・こざねと畜産・食肉史との関連も謎