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リテラシーと理解について考える

「幻の酒」プレミア価格の事情 その1

 「幻の酒」といわれる中々手に入らない清酒や焼酎があるのをご存じの方も多いでしょう。
 特定の有名な銘柄のお酒で、名前は聞くのに実物を見かけることは少なく、飲んだ事自体が話題に出来るような「ブランド品」です。
     
 日本酒(清酒)や焼酎等で美味しいとの評判があり一度飲んでみたいと思うものの近くの酒屋や量販店で見かけることもなく、時々見つけても高価で、ネットで調べて比較的手に入り易い価格であっても送料など手数料を考えるとそれなりの値段がして購入を躊躇します。
           
 しかし手に入れにくいとなると寧ろ一度でも飲んでみたくなり、飲んだ人の話を聞くと自分でも確かめたくなるのは当然でしょう。
 行列の出来る有名店に並んでも食べたくなる感覚や「流行りもの」を話題のために人に先んじて確かめたくなるのとも似た感性です。
 何かを学ぶときに著名な専門家に学んだり、文芸に触れるときに基本的な「名作」を踏まえるのと変わらない思考でもあります。「本物」に触れたいと考えるのは妥当な好奇心です。
       
 それで何らかの機会に奢りで飲んだり、見かけたときに奮発して自費で購入したりして味を確かめると「どこが良いのか」わからなかったり、期待ほどの感動が得られなかったり、明らかに美味いとは感じられない事も有ります。
 現実に金額どおりの品質で満足出来れば勿論問題はありません、「良い物」の価値を「素直に」評価出来るのは感性です。
 まあ、ブランド品なのだからこれが「美味しい」ということなのだろうなと納得できたりする人もいても別に構わないとは思います。
 ただ実際には何故これほど高価なのかが理解出来ない場合もあります。
              
 世の中ではそれ程高価ではない高品質な物もあるのに何故この酒はこの程度の味でこれほど高価なのだろう、世間は味音痴が多いのかそれとも自分の味覚がおかしいのか。どちらにしろ気持ちの良い事ではありません。
 事実余所で飲んだそれ程有名ではないお酒のほうが明らかに美味しく感じ値段も遥かに安い、たいそうに「幻の酒」とされ入手困難で高額なのにこの程度の味だと何かおかしいのではないかと考えるのは当然です。
      
 これはどの様なことなのでしょう。
 品質の悪いものを宣伝だけで高く売る悪徳商法なのか、ブランド品だと何でもありがたがる社会の風潮なのでしょうか。
      
 まず現在の基本的な日本酒や焼酎の流通の仕組みと現場について知っている範囲で大雑把ですが述べてみます。
     
 多くの場合はまず「蔵」とも云われる生産者が存在します。これには清酒だと灘や伏見のナショナルブランドと云われる大手の蔵、焼酎だと所謂総合酒類メーカーや九州などにも有る全国で売られる大きな焼酎蔵のような「企業」から地方の中小蔵で場合によってはほぼ家族のみで生産を行う小さな生産者まで千を越える「蔵」があります。
     
 そして流通方式も多様です。
    
 主流で大多数の方式は生産者から中間業者である全国の地域の問屋又は流通商社に流れ、そこから酒販店が仕入れ、消費者に渡るものです。これはビールや洋酒などとも同様で殆どの小売店や量販店に並ぶ酒類の多くはこの形で流通します。
 料飲店の場合は普通は生産者から業務酒販(問屋)を経て購入するか特定の小売店から仕入れます。
 
 メーカーは一次特約店と言われる問屋に商品を卸します。一次特約店は多くの場合地域ごとに存在し基本的にはエリアでの販売を独占します。大きな枠組としては複数の問屋がメーカ−の代理店として一次特約銘柄の販売にしのぎを削ります。
     
 一般的には小売店は比較的に多くない問屋との取引を行います。地域によると配送する問屋が少ない場合もあり、手間や人間関係もあり特定の「馴染みの」仕入先からの納品が都合が良いと考えられています。問屋も販売店を「押さえて」いることは有利です、所謂「系列化」です。
 同じ地域の問屋でその商品を必要とする場合はその一次特約店から仕入れて販売することに成ります。
        
 多くの問屋は一通りの商品を揃える為に他の問屋とも取引をし二次問屋の役割も果たします。あるメーカーの一次特約店でありながら他のメーカーの二次問屋でもあることは珍しくはありません。問屋によっては殆ど二次問屋のみの役割で経営をしている事もあります。
 業者同士の横の繋がりも存在するある意味では「日本的」な融通の利くシステムです。
 これが現代の日本の多くの顧客が求める「品揃えの多さ」と「安定価格」を実現させています。
            
 有力メーカーの一次特約店になれば直接小売店・料飲店に納品する場合は取扱量も多く比較的大きな利幅も可能で二次問屋にも影響力がもてます。
 一次特約店の問屋は自社の特約商品の販売に熱心になり、有力な商品の一次特約店になる事はメリットがあります。
 地域の有力な問屋は大手の売れ筋の商品の一次特約を多く抱えることが経営の柱に成り、問屋ごとにメーカの系列を後ろ盾にした販売競争が行われてきました。販売スペースとセールスの連動した、ある意味では明快な「営業」が行われます。
 
 消費者の都合としても悪くは無く、中間業者が存在しそこが多くの在庫をこまめに分配することによって多種類の商品を販売店が比較的に簡単に揃えることができ、必要最低限の在庫で流通コストも低く基本的には効率よく販売することが出来ます。
 中間業者はその地域で比較的小さな単位で沢山の種類の商品をこまめに配達するシステムを持ちます。
 生産者も比較的少ない取引先に纏めて出荷でき、尚且つひろく多くの販売店に商品を行き渡らせることができ、都合の良い手段です。
 問題があるとすれば基本的に大手の宣伝・販売力のあるメーカーに都合が良く中小メーカーには比較的には新規参入が困難だという処でしょう。
          
 古典的な「営業努力」としては自社の商品を多く売る業者に対しては生産者は「おまけ」として商品を多く納品するか、販売促進費として何らかのマージンを払うか、グラスなどのグッズを配る、中間業者や小売店・料飲店の設備や機器の購入に対し「協力」する等といった方法で「営業」を行います。
 戦後の政策による「定価流通」の時代には納入価格は変えず売り上げにより支払いより1割程度多くの納品を行う形での実質的な「値引き」が行われることもありました。インセンティブを用いる販売促進です。
 形の上では合理的な生産流通コストからの積み上げだけでは無く政策的な「指導」と内部の「横並び意識」によって大手メーカーの商品は似たような価格で販売されるのが普通でした。
 酒類の場合は事実上の価格統制である等級制度も存在しました。因みに一般的な清酒焼酎の小売店の利幅は20〜28%位で24%程度が標準らしいです。
     
 設備としては酒屋や料飲店でメーカー名の入った看板や冷蔵庫を御覧になることも多いと思います。実質的にはメーカーが購入して貸与したり広告費として購入額の一部乃至は全額を負担したりもします。それによって生産者と販売者は結びつきを強めます。
 この方法の問題は資金力で営業力が決まる事も多く、消費者には宣伝広告による「マーケティング」的な販売が主流になり生産者は品質よりもコストダウンを重視してしまう方向に向かい易いという部分が有るのかもしれません。地元以外では大手メーカの大量生産品以外の商品がひろく流通しにくい状況が起きます。
 ある時期には品質よりも宣伝やインセンティブ営業が重視され、その原資の為にコストダウン自体が目的となり業界全体の地盤沈下に繋がったと考える人もいます。
 現在では「オープン価格」制度によって売る相手により価格を変えることも多くなったようです。
 戦後の日本の生産流通体制は全国の小売店である程度は消費者が選択が可能な商品が並び、交通事情などが不便で市場も小さい地方の集落でもある意味で比較的平等な価格で必要な品物が手に入る事を目指して作り上げてこられたとも考えることが出来ます。
      
 ただ実際には一部を除けば小規模な中間業者が多く(数百もある)地域に根ざしているのでローカルな商品はそれなりに流通します。
 比較的小規模な生産者と結びつきの強い地方の中間業者や特定のジャンルの商材を多く扱う専門的な中間業者も多くあり、小売店・量販店や料飲店でも手間はかかり、場合によっては割高につきますが複数の中間業者と取引をする形で多様な商品を品揃えしている店もあります。

これが国内の基本的な清酒や焼酎の酒類流通システムになります。
  
 その2に続くhttp://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120301/1330531042
 その3 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120403/1333441176