はてなビックリマーク

リテラシーと理解について考える

ボイコット

 どうもはてなブックマークなどを見ていると所謂「リベラル」(決めつけ!)の人たちの発言がひっかかる。
 今回見たのは食品メーカーの「風評」についての「心ない姿勢」についてなのだが「ここの商品はもう買わない」とか「みんなでボイコットしよう」などなど。

で、まあ同じ人達には東京のイシハラ都知事閣下(笑)の再選にも不満な方もいて「こんな耄碌爺を又選ぶ都民は何考えてんだ」とか「東京での愚挙は全国に波及する!もっと考えろ」なんていう。
 
 でも「東京の企業の商品は買わない」「東京からの商品をボイコットしよう」とはほとんどいわない。
 勿論仕方ない部分はあると思う。「東京をボイコット」すると「ボイコット」した側が困るからね。
 「東京の企業とは取引しない」や「東京での経済活動はボイコットする」だと負担が重いんですよね。

 これってどうなのよ。
 つまり相手が代替品が存在し、負担が軽く、比較的立場が弱く簡単にダメージが当てられる相手にしか「ボイコット」は出来ないんだよね。
 いやいやそれは違う住民全体が悪いわけではないし選挙についての責任は有権者に問わないのが「憲法」で「民主主義」だとか反論されるのでしょうかね。
 でも逆に地方の何処かの首長が暴言を吐きつつ何度も再選された場合には「○○の物は買わない」と言わないと断言できるの?。
 小さな「辺境」の県でそれ程必要なものを作っていない地方のだとそれに近い事を言うだろう人はいるよね。
 前に読んだ物でも北海道の「ローカル農業タレント?」の勝手に地域の代表者ぶるおかしな発言に対し「じゃあ北海道民は日本国に頼るな」とか「農業は社会に寄生するな」とか言い出す人もでていたよ。彼は道民の誰からも「選ばれた」わけですらないよね。
       
 自分はそのような発言はしていないとの反論があるのはわかりますよ、この文章が「藁人形たたき」的な形なのは認めます。
 ただその場の意見にそのような前提が含まれている場合に違和感を感じないのはどうかとは思う。
        
 その手の人は現実には他にも飲食店の経営者の「馬鹿な発言」や「嘘」に「この店にはいかない」とかの批判もするわけです。
 それ自体は正しいとは思うし「ボイコット」にも意味がある。
       
 でも同じ様に大学の教授が馬鹿な発言をしても嘘つきを教授として受け入れても「この大学の教育は認めない」とか「バカ大学」とは言わないし、大手出版社が被害の出るようなひどい本を出しても「ここの本は買わない」とか「ここから本を出す書き手は見識がない」とは言わないよね。
 そんなことをすると生活や仕事に支障をきたしたり選択の範囲が狭まったりして困るのは自分だしそれの矛先が自分に帰ってくる場合もある。
 ひどい報道や嘘を垂れ流すテレビ局を「ボイコット」するって発言はあんまりしないよね。
        
 そりゃ「学問・言論・報道の自由」は認められるべきだし発言の当事者以外が批判されるべきではないし、その発言を認めたわけではない無関係な人や発言者を選んだわけではなく、発言者に対し何らかの権限がある訳もない立場の人間にまでダメージがあるのは良くないとの意見はその通りだよ。
    
 でも上の食品メーカー従業員や飲食店の従業員も同じなわけですよ。
 こんな言い方なんだけど従業員はその「心無い姿勢」や「馬鹿な発言」を認めてそこに勤めているのではないのよね。
 仕方なく勤めてる人や我慢して頑張る人が普通なわけ。
 商売や商品で信用を無くすような事なら仕方ないけどそれ自体はまともな場合もあるよね。
        
 「ボイコット」がいけないとかそんなことが言いたいわけじゃありませんよ。
 でも独占的な大企業の経営者や財界の大物の暴言や愚論に対し「自分はその企業の商品はボイコットする」や「そこと取引する相手はボイコットする」とは余り言わない。
 自分にはそれが必要で他では替えられない物だと「ボイコット」しない。
 個人客相手の比較的に小さな商いをする相手にしか通用しない。
 風評に左右されやすい業態や比較的立場の弱いビジネスをしている物には「ボイコット」で大きなダメージを与えられる。
 単なる勘違いや伝達の行き違い、悪意や悪ふざけでも一度情報が独り歩きし始めると「ボイコット」は弱い側にはどうしようもない。むしろ力が有り、知らんぷりしてしまえる強者やその影に隠れる連中には痛くも痒くもない。
 現実には一般客相手のビジネスをしていない業者や顧客の囲い込みができている商売にも手が出せず、結局マスコミからの情報が多いので「マスコミ対策」が上手いとか話題として取り上げにくい案件だと気もつかない。
          
 結局「ボイコットをしよう」と考える場合にはその対象が「比較的簡単に代替が簡単」で「ボイコットをする側の負担が少なく」「相手にダメージを与えられる可能性がある」場合にのみ限定しているんじゃないの?。
 それだと「ボイコット」は弱い相手にのみ効果のある手段だってことじゃないの?。
 場合によっては集団による権力の行使に酔ってるように見えさえする。
 ある程度以上の「権力」や「権威」を持つ相手には効果がない訳ですよね?。
 強い相手には効果がなく、より強い「権威・権力」を用いて相手を「支配」することを認めてるってことでしょう?。
 権威主義者なら良いけど「リベラル」の立場だとどうなの?
 結局煽り合いをして勝てば良いとの考えだよね?(戦前の朝日新聞不買運動を念頭に)。
 無意識かもしれないけど結局相手の「あしもと」を見てるよね?。
 「正義の味方ごっこ」を「消費」してるだけじゃないの?。
            
 イシハラ閣下はその点も計算して都知事になり支持者もそれを利用しているわけですよね。
 現実には難しいことは分かるけど「こんな東京にはウンザリだ」と東京との関係を捨てる文化人や表現者も余りいませんよね?。彼を支持する有力者や企業やメディアを「ボイコット」しないよね。
 自分の生活水準を下げても東京を捨てる人も少ないですよね。割高についてもわざと地方の業者との取引を増やす人も余りいませんよね。
 むしろ近年東京への経済や文化の一極集中は進んでいるような気さえするよね。
         
 「リベラル」の立場にある人はこの点はどう考えるのだろうね。
 簡単に「ボイコット」され得る立場にある人間としてはそう思うわけですよ。  
 「ボイコット」がいけないとかそんなことでは無く、その辺りをちゃんと考えて「ボイコット」を語る人はどれ位いるのかなって。
 自分の「痛み」を覚悟して「東京をボイコットしよう」という「リベラル」はいるの?。
           
 直接は関係ないけど陰謀論やらニセ科学とか「行き過ぎた〇〇主義」は「現実」の情報や社会、科学・医療に対する「甘えたボイコット」とも言えるよね。