はてなビックリマーク

リテラシーと理解について考える

豆知識

 中国史は「古典」の知識が昔は「正統」な物だと考えられ日本ではほぼそれのみをもって教養とされていましたが、実際はバイアスの多い史料もあり誤解も多く有ります。近年では史料批判と考古学的な知見により、より確からしい新たな見解が多く示されています。
 古代の秦帝国儒家との対立もあり比較的に否定的な見解が多くなされてきました。
 ですから勿論現代からみれば野蛮な古代帝国ですが、古い知識だと誤解も多く有ります。
        
 現代の中国史の常識的な知見においては秦帝国においては道路建設は最も重要な国家事業に位置づけられていた事は明らかです。
 馳道(しどう)は始皇帝が首都咸陽から全国に放射状に作られた計画的な軍事道路で幅は約70メートル全長は5000キロを超える巨大プロジェクトです。全長20万キロにも及んだローマ街道に比べると距離は劣りますが道路幅は遥かに広いです。
 当時の中国の建設は独特の肌理の細かい土を型に填め、金属の鎚で搗き固めたはんちく(はんちく)という技法で城や墳墓なども作られました。安価で頑丈な技術として(その上、比較的に環境に「やさしい」)知られます。
 始皇帝の全国巡幸はその推進・確認作業でもあったと考えられる事も有ります。
       
 その他にも匈奴対策として北方に向かう道路として直道といわれるほぼ直線の600キロに及ぶ「高速道路」をも計画しています。
 他にも「桟道(さんどう)」など全て合わせて1万キロを超える道路の整備を計画します。
 「蜀」の地に向かう「金牛道」等は後に数百年も用いられる重要道路でした。
 全ては完成しませんでしたがこの道路計画を元に後の漢帝国では全国に道路と(所謂)駅伝制度を張り巡らし活用します。
>秦の馳道(しどう)と直道 中国歴史世界
 http://www.geocities.jp/wtbdh192/html/SINSIDOUCHOKUDOU.html
>秦直道の調査と研究 黄暁芬 Official site
 http://homepage.mac.com/tuno/Fuang/Personal74.html
                         
 オリエント地中海古代文明の到達点としてアケメネス朝ペルシャ帝国とヘレニズム諸国からも属州制と道路整備を引き継いだ古代ローマ帝国と同じく秦漢帝国も交通の整備には力を注ぎました。南米のインカ帝国の幹線道路「インカ道」等も同じです。
 他にも秦帝国は運河にも力を注いだ事や、車両の幅の全国統一規格を決めた事などでも知られます。
 交通を重視していた点は「史記」等の文献や考古学資料からも明らかです。「シルクロード」を通じて国際交流・交易も盛んでした。
            
 「万里の長城」は秦帝国の大事業として知られますが、これも古代ローマ帝国でも同じ様な考えで、規模は小さいですがブリテン島で実現しています。ブリテン島を横断する110キロを超える長さの「ハドリアヌスの長城」と50キロの「アントニヌスの長城」です。
 何れも異民族の侵入を抑える目的と領域の線引きに用いられた点では同じです。
                
 ちなみに現在の中国にある観光地としても知られるあの「万里の長城」は千数百年後の明代に再建された物で、当時の政権も「万里の長城」が安全保障上有用であると認識していたようです。
 「万里の長城」は中国の戦国時代に諸国で作られたばらばらの「長城」を基に秦帝国が発展・完成させたものです。
 現実に多くの戦いが行われた戦国時代にも有用性が認められていて後の前漢武帝も再整備を行っています。
※「図説 中国文明史4 秦漢 雄偉なる文明 創元社」を参考にしました。良い本です。
                   
 昔は一時「無用の長物」の代名詞として「万里の長城」が比喩表現として用いられた事が有るようですが、現在の学問としての歴史においては単純にはその様な理解はされていません。古い時代の偏見と誤解です。
 知識をひけらかす事が良いとは思いませんが無知から来る偏見は危ういとも考えます。
 無知に基づく偏見を持つ方が真剣に何かを学ぶ事すらなく現在でもその様な誤解をされていて、その上に粗雑な通俗歴史本等の学問的価値の低い「読み物」を元に思い込みと曲解に満ちた俗説を間に受け新たな偏見を持つのだとすれば情けない話です。
       
 古代社会の歴史から何らかの教訓を得ようとするのは悪い事ではありませんが、事実に基づかない歴史に自分の欲望や偏見を投影し、それを元に公言するのは恥ずかしい事です。