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リテラシーと理解について考える

居酒屋「お通し」考〜飲食店の別途課金について

 インターネットでも時々話題になる飲食店の「お通し」又は「前菜」、関西では「突き出し」ともいい、和食系の店以外では「チャーム」ともいう店で席についてから基本的にはすぐに出てくるちょっとした肴やおつまみで多くの場合、別途料金のかかる有料の食材について考察します。
 一応は飲食業の側の立場ですが一方では自分も「客」として料金を払う「消費者」でもある一個人の意見としてお読みください。
     
 お通しの「歴史」はよくわかりません*1が何らかの「お通し」「突き出し」の類の肴は明治時代には既に出されていたようです。「無料」の物が通常だったようでたとえ一部でも有料の物が有ったとする史料はしりません。
 こちらの記憶では有料の「お通し」は大きな「居酒屋ブーム」があり、居酒屋業態がチェーン店などで一般化した80年代以降*2に慣習化したように覚えています。
 それ以前は居酒屋は今のように繁華街の中心で華やかに軒を連ねているわけではなく、それほど飲食業の中では目立つ業態ではない小さな「赤ちょうちん」が繁華街の中心から外れたところにそれ程目立たずに有った様に記憶しています。現在の居酒屋業界の繁栄はそれほど歴史の長いものでは無いといえます。
 当時も飲食業界に居たひとりの人間として、80年代初めにはそれほど一般的ではなかった居酒屋の有料「お通し」が90年頃には当たり前となったと認識しています。
>突き出し、お通し、前菜、先付、箸付 一体何がちがうの? 金沢直送【居酒屋応援隊】ブログ
http://izakayaouentai.jp/blog/news/1780/
  
 自分自身はどちらかというと居酒屋業態の店よりレストラン・料理店業態の店で食事をしBAR形式の店で飲む方が好みでは有り、知らない店にはあまり入らず、特にメニューが表に出されていない店には基本的に入りません。あまり不本意な有料「お通し」の経験は多くありません。
 コース料理やセットメニューを頼むことも多いので居酒屋志向は強くありません。
        
 それでは現在の「店側」から見た「お通し」とはどのようなものなのでしょう。
     
 一応建前としてはご注文頂いた料理が出る前に何らかのおつまみをお出しし、最初のお酒を美味しく飲んでいただき、ご挨拶代わりにその店のスタイルを伝えるという事もあります。
 勿論通常は300円程度からの有料「お通し」は客単価2500〜4000円程度の店としては約一割の値段を占める課金手段でもあります。
 基本的にお仕着せで、客の好みやその商品の価値とは関係なくいわば「強制的」に「要るとは限らない」ものを出すともいえます。金額の価値のない「お通し」だと感じる方もいてもおかしくは有りません。
       
 一方、店側としては「お通し」は「席代」の側面があります。
 飲食店は料理や酒をお出しするだけが仕事ではなく店という空間を準備し「席」を提供し、箸やおしぼり等の資材も準備する役割もあり、それを客の飲食品の注文品からではなく、空間時間の占有に対し、いわば「公平」にご負担いただくという目的があります。
 
 実はそれと共に(これは客として承服しにくい事ですが)「客」の「選別」という側面もあります。
 通常、「店」では「客単価」というものを設定し、基本的に一人の客から幾ら売上を上げるかを設定しています。ある程度の客単価を設定している店では(勿論それだけの経営コストが掛っている場合が多い)「お通し」の売り上げでそれに合わせ、「お通し」程度の課金を厭う客を「排除」している側面があります。
 飲食店は経営としては空間時間の利益機会を切り売りしている商売でもあります。店の都合に合わない予算の客に席を提供するのは経営的に不都合だという判断は存在します。
   
 ある店で300円の有料「お通し」を出す前は客単価2300円程度だった店が有料「お通し」を出してから客単価が2800円強にまでお通し代以上に上がり、そのうえ客層が「良くなり」トラブルが減り、店の雰囲気も落ち着いたという「良いことずくめ」の例をみました。
 安ければどんな店でもよいという「その店」自体を「必要」としない客層ではなく、可能な範囲ならば多少負担があっても「その店」に行きたいという「顧客」づくりが出来たという側面もあります。
 
 逆に大都市の繁華街や観光地などの基本的に「一見客」向けの店で「どうせ二度と来ないのだから」という認識で課金する事も有ります。
 実際に「ぼったくり」といえる店が有るのも事実です。
     
 「席代」という点については消費者の側としては「普通飲食店は店で食べるものだから別に課金するのはおかしい」という考えもあり、それも間違いではないのですが現在の日本の居酒屋業態の店は「特殊な」利用法があります。
 これは「宴会場」などの「場」としての役割です。
 日本では「飲み会」をいわば懇親会やパーティー等の「場」とし、飲食店を「飲み食いする場」という役割より「コミュニケーション」の「場」として用いる文化があります。
 これはある意味「伝統的」な物で近世江戸時代やそれ以前でも「料亭」的な店でも自店では料理を行わず、「仕出し」の料理を仕入れ、「場」としてのお店を貸す業態がありました。今の日本でも歓送迎会等の準公式な物から「コンパ」といわれるパーティーや「お見合い」の席、そのような何らかの「話し合い」を目的に飲食を主題としない「居酒屋」業態の利用が存在します。
 飲食以外の目的で比較的長時間座席を占拠しすることもあり、注文をない長期滞在はグループや個人やその状況によっては店の経営に負担が掛るような売り上げの機会損失にも繋がる場合があります。
 店は限られた営業時間で多くの場合需要が集中する限定された期間に売り上げを上げる必要があります。その席・時間の最低限の売り上げない場合店の存続も困難になります。
 残念ながら「飲食店」として店を用いて貰えるとは限りません。日本では「はしご」という文化もあり他の店で「腹を膨らませる」行為も存在し、「場」として用いる「客」は店でそれに見合った飲食をするとは限りません。 
 立地や内装、サービスなどのコストを上乗せせざるを得ない店が単なる「場」として用いられると経営は成り立ちません。
  
 「単なる席取りだけではない注文もしている」といわれても居酒屋業態の店は「割烹」や「料理店」よりも低い単価の「単品料理」漬物や冷奴といった200〜300円からの料理も出すので「それだけ」で済まされると経営は成り立ちません。「箸休め」的な商品を置く居酒屋業態は成立しにくい事になります。
 
 「お通し」が割高で価値がないものが多いという不満も聞きます。
 店の調理場を任される場合経営者から一定の原価率で料理や飲料を提供することが求められます。飲食業の実務の経験や伝聞からですが一般的に飲食店で原価率を算出する際、他の通常の料理と「お通し」の原価を別に算出するという事はあまり無いと思われます。
 つまりお通しの原価率が低い店はその分、料理が割安であるともいえる部分があります。「ちゃんと」料理を頼めばその分「お通し」のもとがとれ、逆に場所だけ利用する客にはそれなりの負担が求められることになります。
 「平等」ではないかもしれませんんがある意味で「公平・フェア」だともいえます。「店」という経済活動の場を利用するのならやむを得ないといえる部分も有ります。
  
 店側の都合としては店の運営に必要な額を商品から得ているので、もし有料「お通し」を無くしても何らかの形での課金は必要になります。通常は商品の価格に上乗せされることになるはずです。
 店の運営に一定の必要なコストが掛るのは変わりません。有料「お通し」がなくなれば単にその分安くつくという事にはならないでしょう。
 逆にいえばある意味では有料「お通し」というのはメニューに書かれた商品の単価を安く見せ、見えない部分で課金する「ずるい」方法だと感じるのも当然でしょう。 
       
 法的にはどうなるのでしょう。
>居酒屋で「お通し代」の支払いを拒否できる法律トーク、教えます PRESIDENT 2011年12月19日号 弁護士 村 千鶴子 構成=田中裕康     
http://president.jp/articles/-/7536
 明記されていない場合は断れますが、出てきた「お通し」に手を付けると支払いは必要になるという事のようですが、席料としての「お通し」は明記されていない場合でも「それなりの店」だと請求は可能とされるようですが、「それなりの店」の範囲は曖昧なようです。
   
 個人的な見解としては一部にある有料「お通し」を断っても良い店というのは寧ろ席料ではなく「頼んでもいない」商品を押し売りしているようにみえ、席料込としてすべての客に支払いを求める店の方がフェアな気がします。
     
 しかし客としての感覚ならなぜ注文もしていない商品が出され「勝手に」課金が行われるかというのは疑問に感じます。割高に感じるのはやむを得ないでしょう。
 しかし実際には居酒屋などの飲酒を伴うタイプの飲食店はいちいちその場で作業が発生し労働コストが掛るためそれほど「儲かる」ものでは無く、就業者の人件費は低く、経営リスクも高いといえます。最大限上手くいっても営業利益は最大で10%程度で新規開業の店の多くが10年以内に淘汰される厳しい業界だとされます。
>飲食店の経営数字
http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20111027/1319677188
 多くの場合消費者に自由な選択が認められている市場経済の機能が充分に発揮された業界であるといえます。
 比較的に参入障壁が低く、今の日本では普通は過当競争気味であり、各店は同業者だけではなく隣接するジャンルや「中食」といった異業種との生き残りをかけた競争もあります。市場に支持を得ない店は正しく淘汰される世界です。
     
 「お通し」を出さない店が「良い店」であるという考えは一理あります。
 しかしここで問題とされるように多くの店が「お通し」を出しています。
 これは「お通し」を出さない店が経済的に淘汰されていることをも意味します。
 有料「お通し」を出さない店の方が正しく、「本当に」客に支持をされているのだとすれば市場原理からしてそういった店が消費者の支持の基、競争力を持ち、多く生き残り、経済的に成功している筈です。
 もちろん低価格を売りにする立ち飲み屋形式の店などではそういった業態が一般的でちゃんと割り切った店では合理的な「棲み分け」が出来ています。
  
 それなりの安定感を持ち、基本的に信用を売りにする多くのチェーン居酒屋でも有料「お通し」方式が用いられるということはその営業スタイルが一定の合理性を持つと市場が判断していることになります。
 市場原理は供給者と消費者の利害のバランスを調整する機能を持ち、一応の批評の役割も果たします。カルテルでも存在しない限り一方的な「搾取」が行われているとは言えない筈です。
 単に「飲んで食う」だけなら大衆中華などの安価な料理店のような普通は有料「お通し」を出さないジャンルの店も存在します。なぜ有料「お通し」がでる居酒屋形式の店が盛んかという点は考慮すべきです。
 現在の市場において客と店側の妥協点の一つとして存在しているとも考え有られます。
   
 飲食業というのはそういった暗黙の了解の側面を持つ商慣習を多く持つカテゴリーでもあるます。
 良し悪しは別にしてある意味ではわかり難くときには明記されない「約束事」も押し付けられるという側面もあります。それが不合理に感じられるのはある意味当然の話です。
 ですがそれは中々気付きづらい、目にはつかないような合理性が存在するという側面もあります。
 有料「お通し」は客の側の多様な店の利用と店の経営的な必然との利害の「落としどころ」として存在するともいえます。比較的に安価な商品を売る為にはやむを得ない部分があるとも言えます。 
 ある側面としては市場経済がそれを証明しているのではないでしょうか。
        
 欧米では日本ではあまり求められない「チツプ」制もあり、サービススタッフはそれも含めて賃金とし、店の経営に必要なものとされます。欧米などに行く少なくはない日本人にとっては不合理で面倒な物でもあります。日本では普通に「おしぼり」が出てきて多くの店では「お茶」も無料で(お代りもでき)だされます。
 韓国では古いタイプの飲食店で一品料理を頼むと(時には驚くほどの)多量の惣菜が無料の「サービス」としてだされます。
 これらも商慣習のものです。商慣習や「マナー」というものは良くも悪くも存在します。
    
 飲食店の商慣習で「暗黙の了解」というのはある程度は必要な物だと考えます。
 前にも書きましたが香川の讃岐うどんのセルフ店(簡略なサービスで安価な饂飩が食べられる)で「お客様お一人で小うどん1杯の注文をお願いします」という内容の張り紙を見たことがあります。「食べ歩き」の客で「不文律」をすり抜けようとした方がおられるようです。
 「暗黙の了解」では飲食店では座席を占有利用する場合は子供などを除き一人前の料金を支払うというのが有ると考えられると思います。
 例えば行列のできる簡易な食事を出す大衆店で食べ終った後、他の客が待っているのに席を占有し続けるのはそれがいけないと明記されていなくても「暗黙の了解」の商慣習として避けるべきものであります。居酒屋業態では食事だけではなく会話などを目的として利用されることも有り、時には「ビール1本と軽いつまみひとつで」店の稼ぎ時に長居する人います。
 これは店の存続と従業員の生活にとって難しい問題です。
 結果、一つの落としどころに有料「お通し」というものがあると考えられます。
   
 有料「お通し」を出す店では普通はそれほど注文をしない客でもある程度の座席の占有が容認されるはずです。その分料理を安くできる為に「ちゃんと」注文をする方には「結果的に」でも比較的安価に商品を提供できる側面もあります。
 逆に今の日本の居酒屋業態で有料「お通し」を完全に否定するならば店は商品単価を上げるか場合によっては客席の居心地を良くしないといった手段を取らざるを得なくなります。
 比較的に居心地が良く多様な用途で使え、比較的安く品ぞろえの多いメニューから選択肢が多くある日本の居酒屋形式は有料「お通し」という「落としどころ」で機能している部分も有ります。
 「レストラン」としての利用だけではなく「バー」や「宴会場」「コミュニケーションスペース」の役割も持つ、いわば日本独自の飲食業態である居酒屋業態の合理的な有り方だといえます。
            
 有料「お通し」は市場を通した「最適化」といえる部分も有ります。有料「お通し」はそれほど簡単には否定できないでしょう。
 単に「搾取」されているように論じる「消費者論」というのは現実を見ない寧ろ「搾取」する側の視点にもなりえる公共の視点の欠ける独善にもなりかねません。
            
 客自身も有料「お通し」が嫌ならば来店前に店に問合せをし料金体系を確認し、個人同士で店の情報を共有し、その店が自身のニーズに合う店かどうかを確認する権利は存在します。選択肢のある中で店を選ぶことは自己責任でもあります。
 インターネットなどで『有料「お通し」の要らない店』といった情報を集める情報共有ページを作ると需要があるかもしれません。
 飲食業者は「儲かる」又は「上手くいく」業態を模倣し追従します。
 有料「お通し」を嫌う方は有料「お通し」を出さない店を成功させることがそういった店を増やすことに繋がるという視点も必要です。客が安くつく店だからといっても安くつけることばかりを狙って用いるとそういった店が維持できないことにもなります。
    
 とはいっても個人的には明記されない形での注文品以外の別途の課金に違和感が有るのは事実です。
 時には有料「お通し」以外に別に「席料」が掛ったりその上「サービス料」が掛る店もあります。
 特に場所代が掛るような店ではなく「格のある」店でもないのにそれが求められる店は問題だと思います。
 別途の課金は基本的に明記され、店側はフェアに客の側の店舗選択の為の情報を示すべきです。双方の合意に基づかない商取引は公正な物とは言えません。
 外国人の方などには伝わりにくい習慣ですから透明性は必要だと考えます。
    
 ただし曖昧さも許される商慣習を弱め、「双方の合意に基づく商取引」を厳密に行うのなら飲食店に入る前に細かな取引条件を提示され合意を得ないと客として扱われないことも受け入れるべきです。有料「お通し」を断った場合には退店を求められることにもなります。契約が成立しない場合は店を利用できないとするのは正当な商行為です。
   
 れいによって読んでもすっきりとしない結論の記事になりました。ご容赦ください。

 ちなみに下のリンク先では「サービス料」はサービスの良し悪しや客の満足ではなく行為としてのサービスが提供されたことに対する対価として求める事が出来るとあります。
>ケーススタデイ⑲ 「サービス料」ホテルの法律 Q&A   ―これを知らないと訴えられる!?
http://d.hatena.ne.jp/hoteresweb_law1/20110607/1307422853
 メニュー等に「税サ別」等と明記されていたのなら支払わざるを得ないでしょう。

*1:室町時代本膳料理、江戸時代の懐石や会席料理にも存在しない。

*2:84年からの「チューハイブーム」と連動している。