「幕末の金流出は何故ハイパーインフレを起こしたのか?*1」は定説なのか?
kousyouさんのブログcall-of-historyの記事「幕末の金流出は何故ハイパーインフレを起こしたのか? https://call-of-history.com/archives/4667」について少々。
記事に書かれているのは幕末期、日米修好通商条約による開港によって「開国」した日本と海外の金銀兌換率の違いから金の海外流失が起き、それが幕末期のハイパーインフレにつながり、「幕府の権威と信用はガラガラと音を立てて崩れ落ちていった」という説でしょう。
これは近年通説として存在しました。お示しの資料は一般的に充分妥当なものです。
先日その説に異論を唱える記述を読みました。
>日本経済史 近世‐現代 杉山伸也 岩波書店
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「(1)「価格革命」と伝統的流通システムの再編」
幕末期のインフレの一因は日米修好通商条約による金銀
>「主要商品の価格上昇は開港直後というより六四(元治元)年〜六五年以降はげしくなり、六九(明治二)年にピークをむかえた」
とします。59年から63年までは比較的緩やかなインフレで後のハイパーインフレには約5年のタイムラグがあるとしています。
そして「(2)金貨流出−理論と現実」では「金銀流出が可能であったのは」「わずか一ヶ月半にすぎなかった」とします。
流出した金は10万両程度であったと言う点はこの本でも妥当とされます。千両箱100個分です。
一方幕末期に日本からの金銀の海外流出自体は存在したともします。
まず幕末期1865年位までの交易においては生糸(絹糸)を中心とする輸出は好調で横浜では輸出超過であったとされます。
しかし長崎では異なりました。「一八六五(慶応元)年〜七〇(明治三)年の輸入超過は一一九一万ドル(九七五万両)に達し、六六年だけでも七〇万〜八〇万ドル(五二〜六〇万両)の二朱金が輸出されたという。この長崎における輸入超過分は金貨のみならず銀貨あるいは特産物でしはらわれ」「多額の金貨が流出した可能性が高い」*3としています。この長崎の輸入は艦船と軍需品*4であったとします。おそらく幕府や諸藩の官需でしょう。
金銀の海外流出は存在したものの問題は日米修好通商条約からの開港による金銀
ここから幕末期のインフレについて幾らか私見を述べます。
「改鋳インフレ」と共に例えば生糸の輸出により国内の生糸相場が上昇します。国内の西陣などの絹織物産地では生糸の入手が困難になり空前の不況に陥ったとされます。他の茶等も含めた輸出産業の発展で関連産業も含めインフレが進行します。
日本国内の流通システムも輸出入を含めた再編があり、幕府の統制が破綻しインフレを助長します。
止めには二度にわたる幕府と長州の戦争が起きます。兵糧や資材を含め物価が上昇します。特に第二次長州戦争から鳥羽伏見の戦いまでの長い間幕府の大軍が大坂に駐屯し米相場を底上げします。
何かの本で読みました(「何か」は失念)がインフレと政情不安の中畿内の周辺地域から堂島の米市場に大量の資金が流入し、相場を暴騰させ64〜69年のハイパーインフレに繋がったともされます。(米相場自体は68年に暴落した)1864年からは海外への金銀の流出も急速に進みます、政権の安定までハイパーインフレが続きました。
この点から「開港による金銀
【参考】日本経済史 1600-2000 慶應義塾大学出版会 「田沼時代から松方財政まで」
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【追記16日23:22】ちなみに1858年(安政5年)当時の金貨幣量は推定で2832万両、銀貨とあわせて5275万両*6とされます(杉山P55)。10万両の金貨は0.4%に過ぎません。
ついでに生麦事件の償金は26万9066両2朱2分とされ第一次長州戦争後の長州の(薩摩を通じた)武器船舶購入は13万400両とされます(野口武彦「長州戦争」中公新書)。
【関連】幕末銃器生産事情
>http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20150308/1425744598