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リテラシーと理解について考える

「お好み焼きの戦前史」を読んで

 週刊誌やガイドブックでよく知られた料理の「発祥の店」という記事を目にすることがあります。
 「オリジナル」を作るその名店に一度行きたいと思う人も少なくはないでしょう。「町おこし」にも使われます。
        
 「歴史」という学問が有るのはご存知でしょう。
 
 人々の営みの中ではもともと、口伝えによる先祖や地域の昔語りというものがあり、過去に起きたことから何かを学び、自分たちが何者なのかを位置づけます。 
 自分たちがなぜこのようにあるのか、どのような権利があり責任があるのか、どんな成功をしたか過ちを犯したか、誰とどういった繋がりがあるか、等というものです。
    
 最初は神話や伝説、教典などの形でその目的に合う事象が選ばれ、意味づけられ、「なぜそうなったのか」についての推察がされ物語としての「歴史」が生まれます。
 多くの国々や社会で、その国や社会、一族や集団の共通の認識としての「歴史」が共有されます。 
 社会や「世界」の在りかたの説明や、個人や階層・集団の顕彰の役割も持ちます。

 文字が生まれ記録が作られ「国」が生まれそしてギリシャと中国では新たな「歴史」という考え方が形作られます。
 物語としての歴史から、より確からしい根拠に基づく「歴史」への探求を目指すという考えが見いだされ、神話や伝説、教典とは異なる「学問としての歴史」に向かう道筋が示されます。 
   
 「近代」の成立とともに、「学問としての歴史」と「物語としての歴史」の相克が明らかになります。
 実際、ほんの少し前、それこそ20年ほど前までは学問と物語の歴史は混同されてたといえる部分がありました。
   
 社会的動物としての人間は多分に「意味」と「物語」の生き物です。
 事象から「意味」を読み取りそれを「物語」として理解する部分があります。理解した「物語」はヒトの認知の一部となり、世界や自分を解釈しアイデンティティーを形作ります。
  
 現在でもナショナリズムイデオロギーアイデンティティーともかかわる形で歴史は理解され、語られる部分はあります。  
 一方では事実関係による確からしさから歴史を読み解こうとする学問としての歴史であるはずです。
   
 人間というものは思い込みや偏見、価値観や理想といったものを持ち、事柄を理解する時に人間であるという部分から離れて物を見ることはできません。
 「学問としての歴史」は自分が人間であることを認め、なおかつ可能な限り「客観的」に事象を読み解こうとする試みでもあります。
             
 少なくとも日本では政治や社会の歴史に比べ、ヒトの日常の営みである風俗・文化の歴史は美術などの一部を除いては学問的な重要度が小さいとされているように思えます。 
 特に近代の風俗史は、研究の少ない分野なのかもしれません。 
 どの時代でも「今現在生きている」人にとっては当たり前でしかないことが記録されず、のちには当たり前でなくなり、人がいなくなり記憶が失われ、実際に何が起きたかがわからなくなることがあります。
 
 日本では明治時代に民俗学が生まれ、農村の「常民」の記録が残されるようになり、のちには考現学と呼ばれる試みも有りました。
 しかし一方では、ほんの少し前の出来事が記録されず残らなかったり、間違った伝承が共有されることも有ります。
     
 「お好み焼きの戦前史」は忘れられた「お好み焼き」の正体を「近代食文化研究会」(個人研究者)による「5年以上の時間をかけて収集した250以上の資料によって初めて明らかに」した論考です。
 https://www.amazon.co.jp/dp/B0794GC6TX/*1
    
 まず今では覚えている人もいない100年前の盛り場の景色、時代の風俗が語られます。
 そして「お好み焼き」が現れます。
     
 著者はそこから歴史をさかのぼり、江戸の駄菓子の歴史から、明治の露店屋台、開国から西洋食文化の移入と日本での変容と受容、産業社会構造の変化、驚くべきウスターソースの実像、「消えた」お好み焼き、ラーメンブームの原像、全国への伝播、そして「お好み焼き」とは何だったのかを描きだします。
    
 現在までの「お好み焼きの歴史」等の大衆食の歴史とされるものの多くが、過去に一部の人が短期間調べただけの少数の記録や利害のある関係者からの証言、憶測でつくり出された事実とは異なる「物語」であると明らかにします。
 著者は料理書だけではなく、当時の新聞、観光情報案内、広告、調査資料、随筆等を渉猟し、先行研究を検証し、失われた歴史を再現します。
  
 江戸明治大正の都市の風俗、子供たちのくらし、時代の意識、人々の生業、そこから思いがけない「お好み焼き」の歴史が現れました。
 食文化に興味のある人や大衆食を愛する人には驚きの事実が示されます。
 「ほんの百年前」には多くの人が知っていた、わざわざ書き残すことでもないはずの日常が記憶から消え去り、50年前までは聞けば分かった話を調べだすという事の難しさと面白さに驚くでしょう。
   
 一つの記録を確認するために複数の情報源から事実関係を確定し、より確からしい実像に迫る知的誠実さには目を見張ります。
 一方では甘い調査から「物語」を生み出した先行書については厳しく検討します。安易に伝承や古い経験談といったオーラルヒストリーに頼ることはありません。
 記憶違いや宣伝効果、記述者の物語の仮託によってつくられた「偽史」を排し、「歴史」を描こうとします。
     
 「生き残った老舗」や名前の知られた「伝説の店・料理人」は物語の主役になりえます。
 記述者や客や「老舗」自体、時には自治体などもその物語に乗り、利用します。すでに「物語」が産業や地域振興の名のもとに「偽史」として定着していることも有ります。
 「発祥の店」「発祥の地」というものにはそういったものも少なくはありません(後継ぎが先代などからホラを吹かれただけなのかもしれませんが……)。
    
 豊富な史料から時代の霧を晴らし、かすかな手がかりを多く積み重ね、事実に迫ります。
 巻末の膨大な資料集はそれだけでも価値があるでしょう。
 この本で示されるように近代にはあまりにも多くの資料が有ります。それを調べ上げ、整理するのは大変手間がかかります。
 しかし近年では情報機器の進歩で比較的には調査が容易になったともいえるかもしれません。
   
 しかし今現在でも凡百の書き手による食の蘊蓄本は良くて数冊の先行研究、場合によっては種本一冊からの孫引きだけで書かれているものも多いのが実情です。
 最低限の基礎知識すらないままに経験談と小耳に挟んだだけの関係者の話だけでも本になります。何の裏取りもなく種本が推測としているものを事実のように書くものもあります。
 重要な基本文献に全く触れずに書かれた本も有りました。学者でも畑違いのジャンルに思い込みの間違った記述が入ることも少なくないです。        
 食に限らず、何らかの事実に触れる場合は自分の知識を顧みることも必要です。

 「食」については誰でも毎日ふれるもののため、容易に「わかった」つもりになりやすいものです。
 「大家(たいか)」とされる作者が安易な誤認を書き、誰も指摘すらしないことも目にしました。カリスマになると批判すら許されないのでしょうか。
 何十年も前の情報が現在でも検証されずに定説とされることも少なくありません。

 専門家ではない「文化人」などが調べもせずに書き、同じく知識も興味もない別のジャンルの評論家が好意的なレビューを書くことも少なくありません。
 食の歴史を学ぶ同士で「ライバル」でもある自分としても「お好み焼きの戦前史」は価格以上の価値のある著作であると断言できます。
    
 このブログでは過去に
「新・とんかつの誕生 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20150922/1442901832
「戦前のお好み焼き http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20160314/1457940308
 で同じテーマに取り組んでいますが「お好み焼きの戦前史」はそこでたどり着けなかった答えを明らかにする快著です。これからの食文化史、風俗史の新たな基準となる素晴らしい研究です。
     
 読み物としても面白いのでお勧めです。
 ご興味のある方は、「お好み焼きの戦前史」を読み、その先に向かって行くことも出来るでしょう。ここから先にまだ調べることはたくさんあります。
 「国立国会図書館」「味の素食の文化ライブラリー」「女子栄養大学・短期大学図書館」等に資料が多くあります。地域でも少し大きい図書館だと食文化の本や古い随筆も有ります。朝日新聞、読売新聞などでは古い記事もネットで検索できます(これも図書館で可能な場合も有る)。
    
 例えば昭和50年代に突然登場し53年ごろには定着した「肉じゃが」の名称と概念、それが代表的な「おふくろの味」であることが一般化したことについては今調べていますがわかりません。(海軍説はウソ)
 テレビドラマや映画又は料理番組やバラエティー番組等の影響かもしれません。ご存知の方がおられれば出来れば根拠を示して教えてください。
    
 近代食文化・風俗史は趣味としても面白いジャンルなので多くの方の参入を期待します。サブカルチャーの歴史もまだ調べることは多くあります。
 「お好み焼きの戦前史」はその道標になるでしょう。
    
 類書の風俗史としては
 創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) 輪島裕介
 https://www.amazon.co.jp/dp/4334035906
  
 食文化史本は当ブログ「読メ」の「読書メモ抜粋」からどうぞ。
   
 近現代の「偽史」には
 江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 原田実
 https://www.amazon.co.jp/dp/4061385550
   
 近代日本の偽史言説―歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー 小澤実
 https://www.amazon.co.jp/dp/4585221921 
  
【関連記事】
 日本肉食史覚書
 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120614/1339605334 
     
 関西に納豆食は無かったのか?
 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20170109/1483951797
 
 一汁三菜の正体
 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20170310/1489122073   

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