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リテラシーと理解について考える

標準医療とか

 前の記事で「ポプラ社大賞」について書いたのですが、それを書いた動機として有るのは「不当な理由で批判すべきでない」という考え方を持っているからです。

 職業や立場において必要といえる責任を果たしている限り、それが結果的に誰かの期待通りではないという理由だけで批判や非難を行うことは良い結果をもたらすとは思えません。
 正当な根拠も無く過大な要求を相手に押し付けても上手くいくとは限りません。   
     
 医療において「標準医療(又は標準治療・標準療法)」という概念があります。
 (筆者は医師でも医療関係者でもありませんので内容が不正確な場合もありますので専門家にご確認ください)
 医学は「万能」では有りません。
 医療は「完璧」ではありません。
 医師は「天才」ばかりではありません。
 では「正しい医療」は無いのでしょうか。
 そうでは有りません、その時代において必要とされるレベルの知識と能力を持つ医師や医療関係者が、そこに有る薬品や機材等を用い、想定が可能な範囲で行う医療が「正しい」といえます。
    
 医療の世界では研究や技術については一部を除けば公開され共有される事になっています。
 その為に使われるのが根拠に基づく医療・EBM(Evidenced Based Medicine)という考えです。
 理論や臨床によって効果が有るとする証拠のある医療のことです。
 http://www.qlife.jp/square/oshiete/story765.html
     
 EBMに基づき適正に行われる医療が「標準医療」です。
       
 これはまともな医療の世界では共通ですから、専門化が進んだ今の医療でもその専門を名乗る限り、基本的には医師の知識も機材も必要なレベルの医療についての能力が保証されます。 
 より高度な医療機関もありますが、最低限必要とされる医療については(日々変わりますが)基準が存在します。今では正しい「説明」もそのひとつでしょう。
 それが適正に行われている限り本来は批判を受けるべきではないとの物差しでもあります。
 「最新」ではないことも有りますがその時代において最も有効な手段ともいえます。
 普通はその医療施設で行われる最善の医療でもあるはずです。
 誤解してはならないのですが、現実には標準医療はマニュアル化を意味する物ではなく、その患者個々の状態を把握し、状況にあわせた医療でもあります。 まともな医療機関だとその疾病の標準医療が受けられない場合、可能であれば受けられる医療機関を紹介するはずです。
     
 医療過誤とはその標準医療の基準に満たさないようなミスや過ちが有った時に起きる問題です。
 気がつくべき物を見逃したり、行うべき医療をしなかったり、失敗を放置・隠蔽した場合等にのみ批判される物です。
 プロセスにおいて求められるべき医療を行う限り基本的には非難されるべきでは有りません。
 過ちがあれば問題ですが、全力を尽くしてもなお上手くいかないことは有ります。結果が悪かったとしても最善を尽くしたのだとすれば仕方が無い事もあります。
      
 物語の中では医療は「奇跡」や「感動」を与える物ですが現実にはそうでは有りません。まず第一に無力な人間が出来る限りの知恵と努力で病に立ち向かう厳しい戦いです。
 正しい手段を用いたからといって必ず上手くいくわけでも有りません。
 現実の医療に「奇跡」や「感動」を求めるのは間違いです。
 過度な期待とその反動である過度な不信や嫌悪は不要でしょう。
    
 個人的には医師や医療関係者の方にそれ程良い印象ばかり有るわけではありませんが、不当な批判はすべきで無いと考えます。
(筆者「摂津国人」は医師でも医療関係者でもありませんので内容が不正確な場合もありますので専門家にご確認ください)


  
 不可能な高いハードルを設定して「こうであって欲しい」を「こうであるべきだ」に摩り替えるのは良い事ではありません。
  内容に間違いがあればご指摘ください。
   

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