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リテラシーと理解について考える

ポプラ社大賞

 面白がって調べてみました。

 ポプラ社の今の坂井宏先社長は「ズッコケ三人組」「かいけつゾロリ」といったベストセラーになった作品を企画・編集を担当し、所謂「漫画的」な技法を児童書に取り入れた事でも知られる「名編集者」で、同族経営らしいポプラ社で一般入社の社員で自ら目指して社長になり、就任してからも企画物や新規事業等で実績を上げた人のようです。
 ポプラ社は近年経営が厳しいらしい児童書出版では健闘しているように見えます。(理論社は駄目でしたが*1
 経営者としても積極的にメディアのインタビュー等を受け、露出を好む「山っ気」のある人物といえるかもしれません。
 この程度の「演出」をしてもおかしくは無い印象は感じられます。「やらせ」だとしてもおかしくないです。
   
 ポプラ社小説大賞も第一回の大賞受賞者は元からポプラ社と関係が有った人のようです。
 実物を読んではいませんが(受賞後相当推敲したらしいですが)出版後の売れ行きやネットでの反応を見るとそれ程すごい作品だとの評価も無いですから、第一回で受賞者無しだと格好がつかないという事で仕方なく身内に受けさせた様にさえ見えます。
 後の受賞作等を見てもヒットしたのは小川糸氏の「かたつむり食堂」だけのようです(これも読んではいませんがどちらかと言うと特定の読者層に「癒し」を感じさせるタイプの作品で評価も様々です)。
 (後に他社でデビューしている作家も多い様なので腕試しには充分為っているようですが・・・)
   
 まずこの大賞の要求している評価基準がわかりにくいです。普通有名作家らの審査が有る場合はその面子でジャンルやレベル等傾向が見える物です。
 それを社員審査で行うという事はその小説の文芸としての価値よりも「商品」としての値打ちを基準にしているとの理解も可能です。
  エンターテイメントの賞で高額の賞金だと作品の文芸的な価値ではなく商品価値として2000万円だとすると理屈は通じます。
 調べた範囲で言うと版元の利益は22〜30%位らしいので最低10万部以上売れないと元は取れない事に為るのでそれを大賞の選考基準のひとつとも考えうるとするのも可能です。
 受賞者が居なかったのは、2000万円の賞金に見合った経済的な価値のある作品なかったからだとも見えます。
 応募作は多くとも元から賞金から期待されるほどはレベルが高くはない作品しか来ていなかったのかもしれません。
     
 水嶋ヒロ氏の作品は「テーマは命。ジャンルを飛び越えた新しい小説」「自殺する男を止めて、命を助けようとする物語」「先の読めない時代だからこそ、見通しの利くような作品を選びたかった」「いろんな見方ができる。ジャンルの垣根を超えた新しい作品。心の奥を深く揺すった」「SF、ファンタジー、社会派小説」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101101-00000017-oric-ent 
と有りますから『既存のはっきりとしたジャンル小説ではなく(決め事がゆるい)、現代を舞台に(難しい「世界観」は無い)自殺しようとする男を「奇跡」か「超能力」で(小説内の出来事を理詰めで説明しない)助けようとし、「命」について感じさせる(「感動」できる)見通しの良い(すっきり読める)』「小説」のようです。この本を買う読者が共感が出来、特別な知識やセンスが無くても読め、楽しめる「作品」にはなるでしょう。
 いまどきの「売れ筋」の「小説」によくありがちな物にも見えます。
   
 小説の体裁をなしていてちゃんと編集者がアドバイスと時間をかけた推敲をしさえして読み易くすれば、水嶋氏の人気で受賞無しでも1冊1200〜1500円程度の単行本として最低5万部、受賞作だと10万部は軽く売れる商品ではないかと思えます。
 文芸としての価値はともかく商品としてはこの大賞に値する商品価値があると考えるのは不謹慎でしょうか。
   

 エンターテインメント小説とはどのようなものですか?
 私たちの考えるエンターテインメント小説とは、読み手を楽しませることができる小説です。どのように楽しませるかは作品ごとによって異なり、また作品の力量の出るところでもあると考えています。
 http://www.poplar.co.jp/taishou/faq/index.html


    
 賞の案内の記事に有るようにポプラ社の基準は読み手の満足がまず重要とする市場主義的な部分を認めえる立場のようです。
  
 元々大賞受賞者無しでも成り立つ様なので、他の作品が2000万円のレベルに達しているのも関わらず他の賞に廻されるか落選の憂き目に会うなどのしわ寄せが具体的に無い限り、WIN=WINの結果とも言えます。
 恐らくこの手の本を直ぐに買う読者は殆どが普通に満足、慎重な読者は書評が出て評判を聞いてから買うので損は無し、他の受賞者は話題性が出来て手にとってもらえる可能性が増え損はなし、出版社は売れれば得。デビュー作が「売れすぎる」リスクがあるのは作家本人位でしょうか。
   
 元々知名度から言ってデビュー作に関しては小説の体裁が出来ていて(大幅に手を入れ実質的に他人が書いたとしても)値段とデザインさえ市場的に良ければ何万部かは確実に売れる「商品」ですから中身は見ずとも声をかける出版社は幾らでも有ったのでしょう。
   
 結局小説が出てみないと何とも言えないのは間違いないのですが。


 実はここまでは前置き(笑)。

>黒猫亭日乗「御伽噺を信じられないオレ(笑)」
 http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2010/11/post-7112.html#more

 何度かコメントを書かせて頂いているブログなのですが、ブログ主の黒猫亭さんがお怒りのご様子。

>「ああ、こう謂う筋書きになってたのね」
>現状ではかなり粗い代物らしい。
>何と謂うか、水嶋ヒロを巡る諸状況においては、いろいろ大人の事情が絡んでいるだろうことは誰が考えてもわかる話ではあるのだが、そこまでくだらないお茶番にはとてもじゃないが附き合いきれないと謂うのが本音のところである。 
>…いや、何だかこの件を考えると際限なく薄汚い想像が膨らんでしまうので、ホントにイヤなんだよなぁ。
>で、何だかイヤだなぁと思うのは、ポプラ社の側も児童文学が柱の版元だから割とマトモな会社だろうと思っていたら、莫迦みたいに高額の賞金で大向こうウケを狙うようなハッタリ臭い文学賞なんかでっち上げていて、その実一回しかマトモに賞金を出してない上に、どうやら普通の版元が食指を動かさなかった「元俳優」の書いた得体の知れない小説を引き取った代償に賞金をチャラにしたんじゃないかと謂う辺り、カネ絡みのセコいドロドロがあまりにも気持ち悪いです。


 
 少し前に水嶋ヒロ氏の「作家宣言」をネタにしておられその後この賞が出たので文芸に詳しい黒猫亭さんがどんな「落ち」にするのかと期待していたらごくごく直接的に「薄汚いやらせは納得できない」とのご意見です。(はっきり「非難」されているかは微妙です)
 
 私の理解としては元々私企業が行う、それも特に凄い権威も大きな実績もないマイナーな「ハッタリ臭い文学賞」を利用した誰も損のないWIN=WINの下らないけれど普通の商行為。本さえ出版されれば誰でも平等に内容を確認でき、後何作か出ればどこまでが「実力」かはわかる「やらせ」としてもそれほど罪深いとは思えない良くある「芸能ネタ」です。

 ですが「文芸」や「文学」に思い入れがある黒猫亭さんにとってはそれを汚されたようで不愉快なのはわかります。
 
 では何が興味深いかというとその前に「落語本二題」http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2010/10/post-440d.htmlの記事で堀井憲一郎「落語論」について堀井氏の「ライブではない落語には本来の価値はない(大意)」との切捨てに

落語と謂う芸能は、二〇〇人も入れば一杯の限られた閉鎖空間で、一人の演者が観客を自分の言語空間に引きずり込む語りの熱狂体験である…その言明には、オレだって全然異論はないんだよ。単に「それ以外は落語じゃない」なんて「窮めて落語的ではない言明」が続かなければ、の話であるが(笑)。

と書かれた方が「文学賞は作品その物の中身のみの価値が問われるべきだ」とか「小説を商品として金の遣り取りの道具とするのは薄汚い」と書いているとも読める「ナイーブ」な感覚を隠さない様に見えるのが興味深いです。
 記事の中でも作品の評価基準を「である」「ではありえない」とする事についての言明の困難さについて述べられている方にしては簡単に述べられているように読めます。
 別に黒猫亭さんのご意見に矛盾があるとか論評に不満があるとかそういう事を述べたいわけでもありません。

 個人的にはエンターテインメント小説等と言うのは消費者が満足さえすれば基本的に問題はなく、個人や社会に具体的な害悪を与えたり権利の侵害をせず、選択や回避が困難な「被害者」が存在しない限りどんな内容でどんな売り方でも別にかまわないと思います。
 男前や女子高生の書いた「小説の内容」以外の部分に売りがあったりする物や有名人のうそ臭い「自伝小説」や「素人の手遊び」、読者におもねる品の無い願望充足小説でも消費者が満足さえすれば別に構わないのではないかと考えます。
 買いたくない本は買わない自由があり、読みたくない本は読まない自由が有りさえすればそれなりに公正だと考えています(勿論批判も自由ですよ)。

 エンターテインメントには顕著ですが、文芸は作品自体だけではなく製作者の「物語」(容姿や出自、時代背景や世間での評価)も含めて読まれます。夭折や美貌や波乱の人生、創作のエピソード等も現実には作品の一部として受け取られるのはごく当たり前のことだと思います。
 それも含めて作家デビューを「プロデュース・演出」をしたりするのは個人的には特に違和感を感じません。
 企業と私人のみが関与する経済活動ですから金銭的な「計算」が汚いとも思いません。現代の創作活動でその部分が非難に値すると結論付けるのは難しいように思います。
 じっさいは自分に商売人的な思考があるのでこちらのバイアスなのかもしれません。

 その立場からすると黒猫亭さんの水嶋ヒロ氏の受賞への不快感の吐露を批判的に読むと
 『小説と謂う文芸は、読書という限られた情報伝達の中で、表現者が読者を自分の言語空間に引きずり込む語りの体験である…その言明には、オレだって全然異論はないんだよ。単に「それ以外は小説じゃない」なんて「窮めて小説的ではない言明」が続かなければ、の話であるが』とも感じるわけです。
 エンターテイメントの価値を受け手個々の動機や嗜好とは切り離された無く文芸としての「品質」からのみで評価すべきであるという様な価値観が疑う事無く語られている様に読み取れます。

 別にその意見が問題だとしている訳ではなく、人は思い入れがある何かに土足で踏み入れられた様に感じたりすると(堀井氏は寄席に行かない「落語評論」がそうだと感じたのでしょうか)引っかかる部分があるのだという感想です。
 評論としてではなく話題として書かれているのでこの書き方や論法がいけないと考えている訳では有りません。芸能ネタですからこのような「読み」は当然認められるべきです。 
 きれい事は多いがいいかげんな人の行動の裏で行われるドロドロとした話に違和感を感じるのは私も同じです。
  
堀井憲一郎氏の「落語論」もAmazonGoogleで調べると黒猫亭さんと同じような理由で不評の感想が多く見られます、前後に外に3作ほどもう少し丁寧に落語とその周辺について書かれているのですがこの「落語論」は短期間で一気に書き上げたようでタイトルとは異なり厳密な「論」というよりも「個人の主義主張」があからさまに出た物のようです。

 黒猫亭さんのブログは面白く為になるのでお勧めです。ぜひご一読を。
  
 恵まれた人の文芸というネタで柳家花緑氏と水嶋ヒロ氏を書こうとも思いましたがここで終わり。

 〔追記〕
 どんな理由だと不公正にあたるか考えると、

 1)最初から本人が書いていない。
 これは問題。
 2)応募期日に間に合っていない。
 これは反則。
 3)最初から大賞を約束されていた。
 これはどうでしょう。上にも書いたように賞に値する作品(商品)がそれで弾かれていない場合には被害者は居ないですね…。
 「応募者を愚弄する」と考えるにはどうでしょう。
 それこそ(売り上げも含めた)実力の世界なのですから作品に価値さえあればどの道何かの賞が付いていたのですから、これは特にプロでも応募できる賞なのですから(実際に著名な脚本家がその名前で応募していたらしい)作品さえ見れば評価が出来ますね。「客」や「生徒」向けの「試験」ではなく、「価値」を問うcompetitionですから応募した時点で「商品」を出す「プロ」です、商品として問われるのはやむを得ないと考えます。少し微妙。
 4)嘘はいけない。
 第一回もそんな風にも見えるとか業界にはこの手の話は沢山ある…といった逃げではなく考えると、基本的には「良くない事」ではあります。
 5)優良誤認をさせる。
 自社名をタイトルにする賞ですから「品質保証」は企業ブランドが負います。元々たいした賞ではありませんし賞自体も宣伝ですしこれがいけないと出版物のコピーに「傑作」「すごい」等と内容についての評価的な言葉を出版社が書くのもおかしいと為ります。
嗜好品ですからこの商品が無くて困る人はいません。買う前に情報を集めることが出来ます。 
 これでの批判は難しい気がします。
   
 ちなみにどこで読んだかは忘れましたが漫才師の爆笑問題太田光氏の小説デビュー作「マボロシの鳥」は初版3万部、数週間後に第2版で5000部が出たらしいです。
 
 〔追記2〕
 受賞がやらせで作品がだめな場合に確実に非難できる立場にあるのは、今までポプラ社大賞を信用して受賞作を買っていて、今回も水嶋ヒロ氏を誰か知らずにその本を買い、出来の悪さに落胆した人だと考える事は出来ます。

 〔追記3〕

爆笑問題 :太田の初小説「マボロシの鳥」10万部突破 水嶋ヒロも「すごい」とツイッターで絶賛
お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんの初小説集「マボロシの鳥」(新潮社)が、10月29日の発売から12日で累計10万部を突破した。
http://mantan-web.jp/2010/11/09/20101109dog00m200012000c.html

 水嶋ヒロ氏の『KAGEROU』は12月中旬発売との事です。もう出来ているようです。